君の名は。 トラバ&追記あり。
へルニアの手術で入院をしたことがある。
病院の消灯が9時っちゅーのは小学生だった私でさえ、はよ寝ろと言われてもすぐには寝られん時間帯。
なので、薄暗い病室でベッドの中に小型ラジオを持ちこみ、イヤフォンでこっそり聞いていた。
番組は、知る人ぞ知る?(でもないか?^^;)『欽ドコ』である。
想い出してから思ったんだけど、欽ドコってラジオでもやってたんですのね!@@:(何だそれ)
んで、一週間ぐらいの入院の退屈さをそれは紛らわしてくれていたんですな。
そんなある日、視聴者からのハガキコーナーで
童謡『さっちゃん』の替え歌が読まれた。
但し、名前のところは忘れたのでこんな感じだった、と言うことでひとつ。
『さっちゃんはね~みちこって言うんだホントはね~だけど小っちゃいから自分のことなっちゃんって呼ぶんだよ~おかしいね、よっちゃん』
・・一体オマエは誰なんだって話だけども、まあ、今聞いたら、ははっ!っつーぐらいの薄笑い程度である。
しかし、なんせ当時はウンコとかオナラで爆笑するギャグレベルの小学生であった私である。
もうソレ聞いた途端一人ベッドで苦しみ悶えましたよ^^;
しかも声を押し殺して笑わねばならんので非常に苦しかった、という気憶。傷口がまた開いたんじゃないか。
・・・と、コレはついでに想い出したから書いてしまったが、書きたかったのは『名前』の話ですよー。
学生時代に(・・と書く度にどうしても脳内で♪蔦の~からま~るチャペールで~♪とペギー葉山の唄が回るのはいかんともし難い)『かめのこ』(仮名)という名の同級生がいた。
勿論、名前が、かめのこちゃんであるので、私らは『かめのこちゃん』と呼んでいたのだが、ある日、彼女から衝撃の告白をされた。
『私ね、名前を変えたの。今日から『ヨシコ』になったんだ。』と。
・・・・ヨシコ・・!?
・・そ・・そうなんだ@@:
・・と、彼女の改名事件についてはびっくらした、そこまでの記憶しかない^^;
勿論彼女の独断で、呼び名を変えてね、と言うわけではなく、正式に市役所で認定?されて改名したらしいのだ。
びっくりしたことは覚えているが、どういった理由で?だとか、そんなに簡単に変えられるもんなの?などと私やその場にいた誰かが聞いた記憶が無い。
もしかしたら、名前を変えるまでに至った、人には言えない何かのっぴきならん事があったんじゃないか、と。
かめのこ、という名前とそんなのっぴきならん事態との因果でも証明されたのか。証明したのか、市役所に。
まあ、そうそう名前なぞ変えさせてもらえんだろうから、よほどの事があったのかも知れない、いくら友人でも話したくないことが・・などと思いを馳せて、皆、敢えて理由は聞かなかったのかも知れん。
しかしなぁ・・。
今まで彼女をかめのこちゃん、と思い、(思い、ってそうなんだけど)かめのこちゃん然としていた人を、いきなり今日からよしこちゃんって呼べ言うてもなぁ・・、と少々困っていた。
例えばそれまで苗字で呼んでいた人が結婚して夫の姓になった場合、それまで、さん付けで呼んでいたぐらいの関係ならば、急に苗字が変わってもすぐに変えられるもんだ。
呼び捨てで呼んでいた(田中!とか)友人は、結婚しても田中、と呼んでいる。
でも、下の名前が変わっちゃうとなかなか難しいのぅ、と思う。
まあでも彼女に対しては卒業する頃は、皆よしこちゃんと呼ぶようになってはいた。
そうなると不思議なもんで、以前のかめのこちゃんはいなくなり、とうとう彼女は、『よしこちゃん』然としてしまったのだ。
えと・・然、ってかなりアバウトな言い方ではありますが。
結局、名前を変えた理由は聞かずじまいで今に至る。
そういえば、昔、自分の子供に『悪魔ちゃん』と命名しそうになった事件?がありましたねぇ。
悪魔て。
そんな名前を付けるアンタの方が悪魔だよ!と憤慨していたもんだ。
キラキラネームの反対は何と言うのか。
昔、バイト先のオーナーの男児の名前が『天使』だと分かった時も一気に100mぐらい後ろにぶっ飛びましたが。
悪魔みたいな顔に育ってないことを祈る。
(まあ、無いと思いますがコレ読んでる方の名が『天使』だったらごめんなさい)
『名前』について書かれた某ブログに、どこのこさんがコメントをされていた。
平安時代は男が女に(あらためて)名前を訊く、というのが今で言うプロポーズだったのだ、と。
ほぅ~!と思った。
ドラマ『君の名は』でも(いや観たことも無ければあらすじも知らんのですが^^;>)それまでお互い、市井の人間の男と女同士だったのに、名前を訊いた、名前を訊かれた瞬間から、○○君と○○さんの、哀しくも情熱的な恋愛話が始まるのだ。
始まるのだ・・って、あらすじ知らないですけど^^;
絵本の『大工と鬼六』然り、アニメ『千と千尋~』然り、
『名前』は、ただその人を呼ぶ為の文字ではなく、その人そのもの、なのだなぁ、と思う。当たり前か~。
しかし・・えと・・うまく言えませんが、そんな当たり前のことをふと、思ったりする。
普段、何ということもなく接している人たちがいる。
でも、ふと、例えば鈴木草履子さんだったら
この人は『鈴木草履子』さん、と言う人なんだ
・・と思い、顔を見ながら、または思い浮かべながら
『鈴木草履子さんと言う人』
・・という認識を強くしてみる。(何だそれは^^;)
するってーと、『鈴木草履子さんの人生』まで思いを馳せてしまう。
まあ、どんな人生を送られてきたのか分からんにしても。
そうなると、おざなりに出来ないと言うか、なおざりに出来ないと言うか、まあ、私が出来なくてもいいんだが、つまり一個人の人生が浮き上がってくる、そんな気がするのだ。
○○さんと言う人・・と思うと。
例えば(解ってもらおうとする、このしつこさ 笑)
近所のおばさんでもいいんですが、顔を思い浮かべて
中村さん、だとしたら、『中村さん、と言う人』とその人に焦点をあててみる。
すると、中村さんの人生について思いを馳せてしま・・いますよねぇ?・・ね? ^^;(急に弱気)
だから。
災害などで死者40人と書いてあるのを見るより、亡くなった人たちの名前がずらりと40人分書かれてある方が一人一人、その命の重みがずしり、とくる。
この一人一人の人生が無残にももぎ取られてしまったのだ、との思いがずしりとくる。
無差別犯などは、一人一人に名前があることを知らないのだと思う。
この国のトップもまた、一人一人に名前があることを知らないのだと思う。
国民はひっくるめた国民と言う記号でしかなく、一人一人に名前があり、その名前に一つ一つの人生がある、と言うことを考えない。
一人一人の生活がどうなろうと知ったこっちゃないのだ。
だから、庶民の声をおざなりに聞き、庶民の問題をなおざりに、出来るのだ。
決して訊かないよね。
『君の名は・・?』などと。
って、あら?最後は何か政治批判みたいになってしまった^^;
ま、いっか。
*どこのこさんがTバックを履いてくれましたですよ。
あ、実際にTバックを履いたわけではありません(笑)
『名前をつけて』
http://doconoko.hateblo.jp/entry/2014/08/28/203007
その中で、どこのこさんは
名前は、その文字の持つ意味や印象とは別に、その人をその人たらしめる何かを持っているのだと思う。
誰かに認識されるということは、その人の世界に存在するということだ。
・・と書かれている。(↑緑色しか出なかった^^;)
そうそう!と腹を打った。いや、膝を打った。
私がうまく言えなかったことを、どこのこさんは的確に書いて下さったですよ。(いつもそうだなぁ~!笑)
ブログにおいても同じだと思う。
こうしてブログをちまちまと書いてきて、その中で知り合った人たちの名前を見ただけで、その人の輪郭、生きざま?みたいなものが見えてくる。
当たり前だが、全部見えるわけじゃない。
その人がブログに書いていることから想像する、その人の生きざま、考え。
顔も姿も存知ない、けど、その人たちは私にとって唯一無二の存在でありますよ。