ソレ以外の音。 トラバ&追記あり。
前回のブログで、くみちょうさんから頂いたコメントで思い出した。
昨日、どうにもこうにもどうにもこらえきれずに(そんなにこらえるこたないが)MOZUの原作シリーズの2作目『幻の翼』を図書館で借りて読んでしまったんですな。
いやいやびっくり。
あろうことか、あの人があんなことに!(;;;゜ω゜;;A)
・・で。(´・ω・‘) (↑どんなことになったんだよ~^^;)
書きたかったのは地味に『カセットテープ』の話であるよ。
『幻の翼』は、88年の話である。
ケータイ電話が普及しはじめたぐらいの世の中じゃなかったかのぅ(遠い目)
んで、話の中で悪い奴らの会話を密かに録音しちゃったよ、というシーンがあるのだが、その録音方法が何と『カセットデッキで』なんですな!
今だったら何かあるんでしょうねぇ、密閉された場所でもちゃんと録音出来る機能が付いた盗聴器みたいなのが。よく知らんけど。
しかしバリバリ昭和のアナログな私はソコは違和感なく読んでいた(笑)
違和感ないどころか未だに現役で使っているのだ。カセットデッキを。
えと・・まぁ、CD付きだけども。
曲を覚える時はCDからカセットテープに録音して、ガチャンコと巻き戻しや早送りをしながら覚える。(だからテープがすぐ伸びる^^;)
それにしても今の録音技術は完璧すぎて、それはそれでいい音が聞けていいんだけど、なんかつまらんな、とも思う。
音楽番組も口パクばっかで視聴者なめとんのか!とも思う。
ライブだって人によってはそうだったりするみたいじゃないか。
けしからん。
生で歌ったり演奏するから、そこに緊張が生まれ、それが伝わるから楽しいのに。
ちょっと走ったり、もたついたり、音程をはずしたり、でもそれが良かったりするんだし。
そういえば前にテレビで平井賢が熱唱のあまり音程を一部はずしたことがあって、歌い終わってからシマッタなぁ・・みたいにぺロッとちょっと舌を出したのが昭和っぽくて可愛かった。
で。
何か知らんけど再びカセットテープが見直されてきている、という話をどっかで聞いたのだが、どういうメリットで見直されてるんだろ。
CDなどに比べたら何のメリットもないと思うんだけど?^^;
しかもメリットどころかデメリットばかりであろう。今にすると。
音は悪いし、テープは知らんうちに絡まるし(私の場合だけ?^^;)
変な風に音が伸びて、あ~あ・・と思いながらテープを慎重に取り出す。
で、穴の中にえんぴつを突っ込んで、グリッグリッと回して整える。
どうか治っててくれよ~と思いながら再びガチャンコと入れなおす。
そんなめんどい作業。
子供の頃は勿論CDなんぞなかったから、例えばテレビで流れている好きな曲を録音するときはそりゃもう大騒ぎであった。
まず家族に、これから録音する旨を告げる。
今から録音するからシーッだよd(≧ε≦o)ノ゙))
・・と。
で、テレビの前になるべくカセットデッキを近づけて息を止めて録音ボタンを押すのだ(笑)
しかし、母の方は一旦は、あ、そう、と了解したものの、ご飯作ったり何やかんやでそんなこたぁ知ったこっちゃないのだ。忙しいのだ。
だからすぐに忘れて台所から『アンタそういえばさー!』などと声をかける。
その声がしっかりテープに入る。
そのうち何も知らなかった父がいつのまにかお風呂から上がってきて、『花梨、風呂入れ』などと言いながらブッ・・と、オナラなんぞをかます。
オナラの音もしっかりテープに入る。
例え黙っていたとしても狭い団地のこと、ガチャガチャと食器が立てる音や、ドアをバタンと閉めるなどの生活音は容赦なく混じってしまう。
そんな母や父の声やオナラの音入りの好きな曲のテープを飽きもせず私は毎日聞いていた。
百舌じゃないけど、たまにこたつの中にカセットデッキを密かに隠して家族の声を録音したりもした。
音も悪く声もくぐもっていたけど、後になって皆に聞かせた時は爆笑しあった。
ちょっと前に話していたのに何だかずっと前の自分たちのような気がしてくすぐったく、懐かしい気がしたのは何でだろう。
結婚して何年かしてもたまに思い出してはそのテープを聴いていた。
父や母や妹の声、子供の頃の自分の声、何てことない会話、あくび、茶碗を置く音、咳。
もう、曲なんてどうでもよく、ソレ以外の当時の、皆が揃っていた、もう二度と聞けない生活音の哀しく愛おしい懐かしさ。
アナログで良かった。カセットテープで良かった、と思う。
でも。
父が死んでしまってからは未だに聞けないでいる。
きっともう聞くことは無いと思う。
気憶に残っている声でさえ、再生するのはまだ辛いのだし。
*きなこさんがトラバして下さったです。
『長い、お別れ』
http://kinako.hatenablog.com/entry/2014/05/20/232350
きなこさんも似たようなテープを聴けないまま持っている、と言う。
本文を勝手に引用して申し訳ないが
映像がなくても、声があるのは、切なすぎる。
声は・・・言葉を超えて、私を呼ぶからだ。
死んだ人が発する生活の音は、あまりにもリアル過ぎて、その人が「居ないということ」を突きつけられるからだ。
・・・と。
きなこさんの記事を拝見して初めて気が付いた。
昔の声や音が切なくも懐かしく感じたのは、懐かしく思えたその時点でもそこにいた家族が健在だったから、なんだなぁ・・と。
父が死んでから、もうテープを聴けなくなったのは、懐かしいなぁ・・なんて思えなくなってしまったからなんだ。
もの哀しいより悲しいはもっとかなしい。そして悲しいことに再び接することが怖くなるんだなぁ・・と。
もし、懐かしいと再び思える時があったとすれば・・。
それは自分も死んであの世で父に会えた時かも知れない。