花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

方向音痴とキンモクセイ(季節無視 笑)

私だけじゃないと思うが、出先で道に迷ってもしばらく頑張ってみるっつー事が多い(笑)

簡単に地図を見たり人に聞いたりするのは『負け』のような気がして^^;>

事前、頭の中にインプットしていた道順をどうにか思い出してうろうろする。

でも基本、衝撃的なほど方向音痴なので平面で覚えておる地図を立体に起こせない。

だから手がかりは刑事の勘である。刑事て。

 

うむ・・。

何やらあの角曲がったところが匂うな

だとか

あの服装の集団は、きっと私が探しているビルに行くに違いないから後を追けてけば辿り着くんじゃないか(どこが刑事か)だとか。

 

それより、そんな焦って鼻をくんくんさせずとも、迷っている間に思いがけぬいい場所や光景なんかに出会えるかも知れんじゃないか、と、『迷い』そのものを楽しんでいることが多い。

 

しかし。

時間が無いとかどうにものっぴきならん状態となると、もう誰かに道を聞かねばならん、となる。

ちょっと負けた感を抱えて(笑)ぐるりと辺りを見回す。不安な心持ちで。

そうして当たりをつける。

この通行人の中で一体誰が知ってそうか、尚且つ快く答えてくれそうか(これ重要)

よっぽど周りに人がいなければ選べないけど、こんなせっぱ詰まった状態でも人を選ぶ。

探している場所の種類にもよるけど。

忍者屋敷を探しているならば平安顔のおっとりした人よりすばしっこそうな人に聞くとか(何だその例)

 

 

 まーこさんの記事『西陣界隈』を拝見した。

http://maako5458.hatenablog.com/entry/2014/04/11/220113

世の中には道をよく聞かれる人と全然聞かれない人にニ分されると思う(ほんとか)

私は道を聞かれる方である。しかも地元で。

大都会で聞かれたことは・・滅多にないなぁ。。

しゃかしゃか歩いている、っつーのと、道を聞かれる2大条件(知ってそう&優しそう)をパスしないという理由であろう。

私の地元を歩いている人は(とくに家の近くで)5人に3人が御老人である^^;

だから、急いでいる人はてっとり早く、犬の散歩なんぞしている中年の私に聞くのであろう。

 

で、更に。

道をよく聞かれる人の中には、いつもはっきり答えられる人といつもモゴモゴとしか答えられん人がいると思う。

私は後者である(笑)

道をよく聞かれるのに、モゴモゴしている人。

ダメじゃん(笑)

 

地元でよく聞かれるセリフは大概

『○丁目って何処ですか?』

である。

自分が住んでいる番地は分かるけど(あたりまえか)違う番地になるとモゴモゴしてしまう。

だって、、ちゃんと1,2,3って綺麗に並んでないんだも~ん。(突然甘えた言い訳)

でも、○○ホームセンターだとか○○病院などと固有名詞でキタ場合も、一瞬モゴっとなる。

急に分からなくなるのだ^^;

ええと・・あそこの角を右に・・あれ違うか・・その先の角だっけ?・・(;;;゜ω゜;;A)などと。

バカじゃないだろうか^^;

普段は目をつぶってでも行ける場所だっちゅーのに。

 

 

ところで。。

まーこさんはその記事で『地元なのに実は知らない穴場?を訪ねてみた』と書かれている。

私もたまには地元の見知らぬ場所探検をしようかな。。

遠くに行く金も時間もないし^^b

 

分かっているような場所でもちょっと違う路地に入ったりすると、もうそこは別世界である。

あれ?ここを抜けると何処に行くんだろ?・・と、途端に日常が非日常の世界になる。

こんな時(こんな時だけ^^;)に方向音痴は特に便利である。

普通の地元民?より長く、その非日常を楽しめるから(笑)

 

迷いに迷って泣きべそかいても(かきませんが)所詮地元である。 

どうにか自転車漕いでいれば知ってる場所に出られるであろう。

んで、その知ってる場所に出た瞬間、というのも好きである。

一瞬、あれ?・・と思う。

どこかで見た・・ここ・・知ってる・・えと・・何処だっけ・・と思った瞬間から、

あ~ここかぁ~!

・・と、思うまでの刹那、が好きなのだ。

あ~ここかぁ~・・は、ちょっとホッとはするもののすぐその後現実に引き戻される。

現実は、家に帰ってご飯作って明日からまた仕事。

あ~あ~・・というくたびれ感。

だから、そう気が付くまでの刹那、がよい。

何か分からん安堵感はあるけどはっきりしない違和感と言いますか。

 

そこは、きっと自分にとっての非日常と日常の境目なのだ。

そのポケットに放り投げられた(自分で勝手に入ったんだが)刹那に見た風景に対して感じるのは、何か知ってるようで知らん、思い出せそうで思い出せない、懐かしいんだけど切ないような、、そんな感情。

または、身の安全?は確保されたようだけど、まだ心だけどっかに置いているような不安感と、しかしそんな不安がすぐ安堵に変わるだろう予感がどこか寂しい感じと。

 

 

そんな曖昧な感情は毎秋、どこかから漂ってくるキンモクセイにも感じる。 

ただ、私にとって

見知らぬ道から知っている道にでた瞬間が非現実と現実の間ならば

キンモクセイの匂いは過去と現在の狭間である。

 

・・・と、だんだん話が大げさになってきたな(笑)

 

キンモクセイの匂いがするたびに、ああ、この匂いだ、と思い、昔のどこか懐かしい切ない記憶が蘇りそうになりつつも、やはりその匂いに今ある現実を上書きしてしまう。

どんどん上書きされていって元の思い出一つ一つがもう思い出せない。

でも、その匂いを元に必死に何かを思い出そうとする自分がいる。

そんな瞬間、何だか泣きたくなるのだ。

でも何で泣きたくなるのか未だに分からんのだ。