もう感想文は書けない。 ちと追記しますた。
関係ないけど、このタイトルを付けたら往年の映画『もう頬づえはつかない』を思い出してしまった。
桃井かおり主演で実に扇情的な映画であった。観てないけど。
昨日、ダイアリーに書いた続きのようなものである。
http://d.hatena.ne.jp/hate7510/20130628/1372414210
それに書いたエッセイ本の著者って誰だっけ・・と調べてみて岸本佐和子さんという方だったことが判明した。(エッセイストではなくて本業は翻訳家なのだが)で、岸本氏はコガネムシ・・のあの唄についても書いている。
♪コガネムシ~は~かねもちだ~かねぐらた~てた倉たてた~♪ ってやつ。
私は子供の頃、この、地の底からのし上がってくるようなゾロリとしたメロディーが不気味であった。
なにか、コガネムシが札束を背負い、その重さに悦に入り、ゆっくりと札束を見せびらかしながら歩いているイメージだった。
同時に、その頃は自分の家の貧しさに充分気がついていた年頃だったので、ムシでさえ金持ちなのに何でうちは貧乏なんだろう?ムシのくせに家まで建てて・・と、金持ちなことが許せない感じで唄とは言えそんな風に妬んでもいたのだった(笑)
で、岸本氏は
この、金持ちだと言いながら楽しそうなメロディーにしなかったところから、きっとこれは金持ちに対する貧乏人の恨みの唄なのだ(笑)と。
確かそんなようなことを書いていた。
そうか。そうかも知れん。
確かに恨み節っぽいメロディーである(笑)
少なくとも金持ち絶賛の唄じゃないよな、と思った。
子供の頃に見聞きした唄は、誰がどんな気持ちで作ったかなんて全く知ったこっちゃない。
唄の歌詞をそのまま受け取って腑におちなかったりするだけである。
だから大人になってこの唄の作者はどんな気持ちで作ったのか・・なんつーことを知ってみたくなる。
この唄の作者は調べたら野口雨情だった。
♪しゃーぼんだま~とんだ~♪ の作者である。
この唄も子供心に何ゆえ『壊れて消えた』などと身も蓋も無いことを(そんな言葉では思ってなかったけど)言うんだろうと思っていた。 最後までふんわりと屋根まで飛んだところを見届けて壊れた結末は見て見ぬふりをして欲しかったと。
何でも野口さんは家の事情で政略結婚をさせられそうになったらしい。
だから、そんな反発心や金持ちに対する皮肉な心持ちで、コガネムシの唄を書いたのかな。
しゃぼんだまも亡くなった娘のことを書いた・・とも。
そうは言っても人の心なぞフクザツでその人の生い立ちや人生で他人がそうだったと決めつけるのも何である。
箇条書きでその人の人生を語るのは失礼である。
だから国語のテストに正解は無いのだと思うし。
しかし、今はそう思うけど中学生になったあたりから、数学は何言ってんのかさっぱりだったが、国語に於いてはその正解を見抜く・・と言うと偉そうだけど、きっとこう書けば先生はマルをするであろうということが解っていた。
たかしが虹を見上げたのは、今まで嫌なことがあったけれどこれから頑張ろうと思ったからである。
いじめっ子のあきらが放課後、捨て猫に給食のパンをこっそりあげているのは同じ孤独を分かち合っているからである。
そんな話どこに載ってたのかとも思うが。
ダイアリーにも書いたが数学の答えをアからエまでの中で選びなさいなどはたいがい答えは[イ]で、それは国語でもそうである。
そうである、って言い切ってしまったが。
傍線の箇所で著者が言わんとしているのはつぎのどれか、みたいな問題。
アは、すっとこどっこいな答え。
イが正解。
ウは、イとどちらだろう・・と悩むところだがひと押し足りない。
エは尤もらしいことを言っているのだが論点がずれている。
というような(笑)
・・・で。
そんな可愛げの無いっつーかどこか冷めた感じで国語というものと向き合っていた私だが、実は感想文が大好きだったんである^^;
多くの方が感想文が苦手と、またはきなこさんのように(突然のお名前すんまそ)嫌いだった、ということであるが感想文となると俄然張り切る私だった。
数学の文章題でもそうだけど、感想を書きなさいと言われた日にゃー書いててだんだん妄想が暴走していくのだ。
もう主人公は私である。
書きながら遂に授業中に涙ぐんだりして(笑)しまいに答案用紙の裏にまで書いていたという始末。
今はもうマルを付ける大人はいないし、マルを貰う必要もない。
だから、コガネムシの詩について感想文を書くなら小学生低学年の頃に戻って、あわよくばコガネムシから金を貰いたい、同情するなら(誰もしてないが)金をくれ、とでも書くだろう。
ところが!
私の記憶ではコガネムシの唄は♪倉たてた~♪で終わっているが、その先があった。
黄金虫は 金持ちだ
金蔵(かねぐら)建てた 蔵建てた
飴屋で水飴 買って来た
黄金虫は 金持ちだ
金蔵建てた 蔵建てた
子供に水飴 なめさせた
うむ・・。(´・ω・`)
倉まで建てたのに買ったのは飴玉で、子供に水飴舐めさせたってか。
貴重なおやつだったとは思うが水飴の当時価格も分からん。
豪勢なのか貧乏なのか、太っ腹なのかケチなのか。。
それとも外には見栄を張って内では慎ましくしていたということか。 金持ちそうに見えるけどネ・・みたいな。
人の心は一枚岩ではない、ときなこさんも書かれているとおり、その人の心の背景はその人と触れ合って、膝を付き合わせ酒を酌み交し夜通し語り明かし、さかなは特にこだわらず、炙ったイカでいい。
そして共に笑い共に泣き・・そんな心を酌み交わしてこそ、やっと、こうではないか、と書けるのだ。
ブログのコメントも然り。
その人はどういう人なのか、とその人のところまで行ってブログを読みこみ、お互い酒ならぬコメントを酌み交し、それだからこそ立ち入った?コメントが書けるというものであろうよ。
それだとて、こちらの勝手な思い込みや推測で相手を傷つけてしまうことが有るかもしれない。
なので。
ましてや見知らぬ人の心の内なぞ誰が解き明かせようか。
もはや正解は読めず、もう簡単に感想文は書けない。
それでよいと思っている。