花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

粒焼き いろいろ。 その3

お正月食材

 

明日の弁当のおかずに、と思ってスーパーで竹輪を買おうとしたらいつもイルはずの場所にいない!

よく見渡すと、奴らはちゃっかしこの度栄転したらしく『お正月食材コーナー』にしれっとした顔で鎮座しとった。

で、値段も普段は100円するかしないかぐらいなのに何と168円になってた。

ちっ!・・アンタらはいつも庶民のおでんコーナーにいたじゃないか!・・と、心の中で毒づいた。

いや、竹輪に罪は無いけどさ。

 

私はそんなんで毎年この時期に腹が立つのだ。

普段食べない蒲鉾だって、驚く程の値段でこの時期登場する。

高いのはそれなりに美味しいけれど、今まで普通に売っていた種類の蒲鉾だってそのお高いものの中に混じってちゃっかし値段も上がっている。

 

ヨロコンブだろうが、先が見通せるレンコンだろうが、そんなお高い食材を見るにつけ、やはり福が来るのはそんなものを沢山カゴに入れられる人たちなんだろうな~・・と思う。

まあ、うちはコンブなぞ出しても誰もよろコンブないからいいんだけど。

 

結局やはり普段より高めの竹輪を買った。

せめて竹輪を斜め切りにしておそまつな門まつに見立てようと思ったもんで(笑) ニセおせちなら負けんぞ。

 

遠距離

この間ちらりと書きましたが、オクテな娘が人生初デートに行っている。

今日で3日目の最終日。

今晩には彼は石川県に帰ってゆく。

写メを見せてもらったら、『ふつー』・・であった。

どこかにあやしいところが無いかと、それが写真から見抜けないかとじぃーっと見つめた。

今時珍しい?ぐらいふつーこの上ないふつーさであった。

娘もいたってふつーな奴だけど。

逆にふつーじゃないのってどんなのか分からんけど。

 でも、話を聞いて安心した。 だってネットで知り合った男だから、そりゃ心配ではあったのだ。

ネットだからどう、というわけじゃないことは私もネットをやっているしで、重々承知ではある。

でも、まあ、いちおうどこの誰か分からんのが来るっつーことで手放しで喜ぶ、っつーのもナンであった。

しかし、とりあえず、メールや電話で得た人となりどおりの実物だったらしいからよかった。

 

心の中では(ふつーな奴だ)とは思ったが(しつこい^^;)気を遣って買って来たらしい石川名物のきんつばが思いの他おいしかったので、それをほおばりながら『もぐもぐ・・なかなかいい青年じゃないかね・・もぐもぐ・・うん。』と言っておいた。

 

彼とのデートでは、渋谷、新宿、原宿に連れていくたびに『祭りか?祭りやってんのか?』と驚き(←まあ、冗談でね)あまりに何回も言うので終いに、そうだよっ!祭りだよぅ!と叫んだらしい。

 

とりあえず、青春、始まったのね。遠距離恋愛だけど。

うらやましいっす。 

そして、見届けたから(見てないけど)もういいや。

後は、ここはもうお若いもんでどうぞ、と思ってススス・・と障子を閉め(どこにいるんだ^^;)年寄りは退散することに、する。

 

 

*きんつば、についてのじんわりとした思い出を、kinakoさんが語ってくれたです↓

『父の菓子』

http://d.hatena.ne.jp/kinakonako/20121228/1356660242

 

 

 

年賀状

もうね。

ほんとはこの字を見るのも厭なんだけど。悪いけど。

あーやだやだ・・と思っていたところ、このあふるる厭な思いを

まさに全て!ブログに書いてくださった方がいる。

koharuさんである↓

http://d.hatena.ne.jp/koharu000/20121224/p1

それがひしひしと伝わってきた。

いや、ほんとに厭なんだろうな・・・と思いました(笑)

 

で、私は年賀状を書くなら徹底的に書けよ!・・と思っている。

私は書くなら書く。

プリンターで印刷してるからとはいえど、謹賀新年、とかおめでとうございます、などと印刷した他にはなぁ~んにも書いていないっつーのが許せんのだ。

それが仕事関係ならまだしも、ちょっと疎遠になってしまった知り合いだったりする。

何か一言あんだろよ!、と思う。

元気ですか?の一言でもいいよ。 今年こそ会いましょうでもいいですよ。嘘でも。

な~んも書いてなくて何ですのん?・・と思う。

 

でも一番うんざりなのは、やはり見知らぬ子供の写真とかですよ。

はいはい、可愛いですよ、よかったね。なんつって思う。

友達の子供だったらほぅ~・・大きくなったのぅ。。なんてしみじみ思ったりもするけれど。

 

などと、書いてしまったが、実は私は苦い想い出?がある。

 

前に勤めていた会社の友達に、十数年前に年賀状を出した時のこと。

私は結婚して子供が2、3歳、友達はまだ独身だった。

で、私はその年、子供の写真を載せた年賀状を出したのだ。

しばらくして会った時に言われた。

「私、花梨ちゃんの子供と友達じゃないから。」・・と。

 

ガ━━(゚Д゚;)━━ン!

・・・ときた。

いや、ふつ~言わないですよね^^;例えそう思っても。

でも、言う奴なのだ(笑)

そして、言ってもらってよかった。

そうだ、そうだ、と思った。

それ以来、止めた。 

・・と、そんな苦い想い出である。

 

年賀状をもらって嬉しい場合もある。

そういう年賀状は、ちゃんと心がこもっているから。

せつせつと自分の近況が書いてあったりして。

 

だから。

私は出すなら、ソレを貰って少しでも心が動くような年賀状を出したい。

おざなりの関係ではそうもいかない。

だからだから、おざなりの関係で送り合う年賀状が厭なのだ。

どうにか篩いにかける方法は無いものか。。

出さなきゃいい話なんだけど・・。

 

 

父の年賀状

 

長年、娘の私が年賀状に対してこんな不埒な思いを抱いている中、父は亡くなる最後の年まで年賀状を一枚一枚丁寧に綴っていた。

全くもってアナログな父故、プリンターで印刷することは(まず持ってないし^^;)ありえないことだった。

 

実家に帰った時に、その年に父が書き損じた年賀状が出て来た。

全ての人にその文面だったのかは分からないけど。

それには

「昨年は大病を致しました・・今年こそは元気で過ごせるようにと願っております。」

・・・云々とびっしりと書かれてあった。

しかし、そんな願いも叶わず、その年の桜が咲く前に父は死んでしまった。

 

その年賀状を見るたびに、父はどんな思いでどこまでそれを信じて年賀状をしたためていたんだろうか・・と思う。

 

職業柄、または父の性格故、そんなに親しくない人たちにもそんな文面を書いていたんでは、とも思う。

 

毎年毎年、同じ人たちに自分の近況を書き続ける。

だから、その年はつらい病状の中でも父は書いた。

おざなりで、今年も宜しく、とだけ書けばいいものでも、父はそうしなかった。

けれど、何枚も何枚も自分の今の決して楽観視なぞ出来るはずもない近況を書かねばならなかった父の気持ちはどうだったんだろう。

自分の今の病状を、これからの自分のことを、文面にして向き合わねばならなかった父の気持ちは。

 

年賀状、というものがごく親しい人達同士の間でのみ交わされるものであったなら。。

 

そして、だから。

理不尽ながら、私は、全く私の私情でもって、やはりこの年賀状の制度に腹が立ってくるのだ。

 

 

*rukaさんの記事にトラバ返しです!

『父の書いた字』

http://d.hatena.ne.jp/ruka007/20121227/p1

実家などに行って亡くなった親の字やモノを目にするのってせつないですよね;;

そして。

きんつば、ブーム到来か!?