アリのままの姿見せるのよ トラバ2つ&追記あり
最近、アリを家の中で見るようになった。
梅雨が近い、っちゅーことである。
彼らは来るべき梅雨時に備えて雨宿り場所を確保すべく(知らないけど)ボロい我が家の、例えば廊下の両側の、床材が老朽化してちょこっとめくれたところなんかに、濡らしちやいかんものなんかを運び出すべく、あらかじめもって偵察に来ているのだ。(知らないけど)
こんなことを書くと非道極まりない奴だと思われるとは思いますが、そんなアリたちを家の中で見つけると、即、ぶっ潰す。(ひど・・)
いや、普段、外でうろちょろしている彼らは、なるべく踏まないように気を遣っているんですよ。えぇ(;;;゜ω゜;;A)(必死)
で。
蜘蛛は逃がす。
蜘蛛は小さい虫なんぞを獲ってくれるし、神の使いだとも言うし、逃がしてあげたら何らかのご利益でもあるんじゃないかっつー腹黒さで、決して殺さない。
てか、アリよりデカいので、つぶすのを躊躇しちゃうし^^;
そんなことを毎年繰り返している。
直接殺すのは可哀想だからあらかじめ殺虫剤なんかを窓に撒いて牽制したり、白いチョーク(石灰が嫌いらしいから)でベランダの桟のところに線を引いて、『え~危ないので白線の内側までお下がりくださ~い』と、車掌の声で注意を促してあげているのにもかかわらず!
それでも入ってくるのだ。アリというやつは。
この間、ふと、思ったのだけど、アリたちは、仲間が出先で人間に(私に、だけど)殺されても戻ってこないから、どうなったのかわからんのじゃないか、と。
で、じゃあ俺が確かめてくる、ということで次々に様子を見にくる奴が出てきてるんじゃないか、と。
なので、ちょっと考えた。
大けがを負わせたまま、巣に帰らせたらどうだろう、と。
怪我をして瀕死の状態のアリの、ありのままの姿を仲間に見せるのよ。
そうすれば、やばいじゃん、あの家、っつーことで雨宿り先を変えるんじゃないかと。
まだやったことないけど。
・・あ~あ・・こんなこと書いてしまった私こそ、ありのままの極悪非道な姿を見せてしまいました。
・・・ということで、やっと本題であります。(本題じゃなかったんかい^^;)
アナ雪である。
なんでも、映画館ではあの、♪ありの~ままの~♪とヒロインが歌う部分で観客が全員で(全員でかは定かでないけど)合唱するそうではないか。
CMや少し前の海外ニュースで、外国の方たちがそうやってアナ雪を楽しんでいる、というのを見たことがある。
もしかして、それ・・マネしたの?^^;
他の映画にしても、外国の方たちって(おおざっぱな括り方^^;)ちょいちょい、ことあるシーンごとにリアクションがデカい、というような印象がある。
面白い時は大笑いし、時に拍手喝采。
日本人はそれに比べて、まあ面白かったら吹きだしたり、または大笑いもするけれど、おしなべて大人しく鑑賞している、という気がする。
貞子3Dというホラー映画でも、外国の方は日本人が怖いシーンでもあまりにもシーンとしていることにびっくらした、という話である。
ニホンジン、怖くないの?・・と思ったと言う(笑)
どっちがどう、どっちが良い、と言うわけじゃ全然ないのだ。
お国柄、というか、民族性の違い、と言いますか。
私は、どんな映画でも静かに観たいけど。
だから、何と言いますか・・。
アナ雪に関しては、君たちは心のソコから、魂の部分で、一緒に歌おうとしているのかね?・・と問いたい(笑)(おおげさ)
実際はどうであれ、私はなんか、そ~ゆ~の気持ち悪い^^;
例えミュージカルだとしても。
例え、皆さん歌っていいんですよ、と言われたとしても。
子供が思わず一緒に歌ってしまうのと、大人が一緒に口ずさむのとは全然違うよなあ。
酒場で酔っぱらって気が付けば他人同士肩組んで、懐メロを歌っていたのとはわけが違うのだ。
だから一緒に同じ歌を歌うことで話を、場を盛り上げる、という、はなからの心づもりで映画を観に行く、ちゅーことに抵抗がある。
泣けますよ、感動しますよ、と聞いて映画を観に行こう、と思うのと同様に。
人前で、公共の場で、オーマイガッ!と頭を抱えて叫び、見知らぬ他人同士で共に大声で歌いあう。
そんなスピリット、日本人、持ってないでしょ?^^;と。
実際に外国の方全員がそのようかどのようかは分からんけど、まあイメージとして^^;
もし、海外で皆が♪ありのぉ~♪なんて歌っている映像だのCMだのを見ることなく、いつもどおりのミュージカル映画として普通に観に行っていたとしたら、きっと誰一人、ヒロインに合わせて歌うことはないと思う。 心の中では歌うにしろ。
子供が一緒に口ずさんだとしたら、『こら!黙って観てなさい!』なんて怒られてたんじゃないか。
外国人たちが、一緒に歌うのは、思わず歌ってしまう、そういうスピリットをもともと持っているからじゃないんでしょか。
誰かがやっているから、じゃなくて国民のDNAがそうせずにいられない、というような。
だから、それと同じことを日本人がやる、ちゅーことは土台、そこに無理があるのだ。
同時に、そうやっている自分たちを客観的に見たいんじゃないのか?感じたいんじゃないのかね?
一緒に合わせて歌う自分たちは、何てアナ雪なの!?・・という風に。(意味わからん^^;)
そんな不自然さ、無理矢理の盛り上がりぶりに違和感を感じる。
私も好きじゃないながら、ずっと脳内でその歌が回っていた。
なので、映画館ででっかい声で一緒に歌っていいんですよ、なんつーことになったらディズニー好きな方なら尚更、盛り上がるであろうと思う。
会場と映画の世界が一つとなるのだ。
共に歌い、共に戦っているような、そんな心を一つにして観終わった暁には、今まで経験したことのない感動が胸に渦巻いたまま、ついでにマックか何か買って帰途につくんであろう。
しかし、私は理屈抜きで何か嫌^^;
ちょっと関係ないけど、私しゃもともと『手拍子』をする、というのも嫌いなのだ。
お囃子、ではなく、手拍子。
人様が歌っている時にするのが嫌いである。
自分がされるのが嫌だっちゅーこともあるけど、じっくり静かに聴きたいし、聴いてあげたいから。
一緒に楽しむ、というより、その人の歌を楽しみたいと思うから。
昔、長淵つよしがまだ初々しいころ(笑)、どこかの会場で一人ギターを抱え♪おぉ~順子!と歌っているのをテレビでライブ中継していた。
途中から会場が一体となって手拍子が始まった。
手拍子で彼の歌もギターも聞こえにくくなったのは勿論、何かいやだなぁ・・と思った。
彼は、自分の歌を静かに聴いてもらいたいんじゃないのか。
手拍子なんかいらんのじゃないか・・。そもそも呑気に手拍子するような歌じゃないだろうて。
そう思っていたら、突然、歌を止めたのだ。
で、『あの・・申し訳ないけど、手拍子やめて下さい』と。
そうだろうよ。
宴会か何かでカラオケ歌っているのとはわけが違うんだし。
それに、ぜぇったいに皆で手拍子とるって、リズム狂うんだから。
歌っている本人だってリズムをとりづらいだろうて。
一人、家でビデオを観ることと映画館で観ることの違いは、当たり前だけど、大勢の見知らぬ他人と一緒に一つの映画を観るっつーことで、例えば、言葉をかわさずとも、感動的なシーンでは一緒に感動している空気が伝わってきて、のっぴきならん場面では会場ごと息をのむ、という空気が、または同じシーンで一緒に笑い合ったり、前の席に座っている人がそっとハンカチで涙をぬぐっているのが分かったり、、。
そうやって観終わった後にぞろぞろと出口に向かう人たちは、共に戦ってきた、または同じ体験をした同士、のような親近感がある。
私しゃそれで十分である。
*くみちょうさんもアナ雪合唱事件(事件か!)について書かれていたという、このシンクロ。
IDコールをするか否か迷ってらっしゃるとのことで、いやいや有難き迷い、もぅそんな~全然嬉しいです(●´ω`●)ゞと思いつつ、お先にさっさとトラバしてしまったというずうずうしさ(笑) すんません^^>
『立ち食いステーキとか雪の女王とか』
http://strawberry-parfait.hatenadiary.jp/entry/2014/06/02/193928
で、勝手に引用^^;
ホントにみんな映画館で大声でそろって歌いたいですか。ほんとに?
・・・・ほんとに。ねぇ。^^;
*更にどこのこさんの記事にもトラバ。
『夏の終わりの「蛍の光」』
http://doconoko.hateblo.jp/entry/2014/06/02/224113
スコットランドという遠い異国の地でどこのこさんが体験された話が書かれている。
またまた勝手に引用してしまうが・・
あえて、同じ言葉に合わせない。
違う文化の人は、そのままでいいのだ。
それでも、十分に、楽しかったではないか。
美しい文章とその臨場感にジーン・・となりながら激しく共感しました。
そうだよ!そういうことだよ!!・・と。
待つ女 その2。
昨日はパート先で年に一回の健康診断があった。
半ば強制的なので、無精で金も無い私には大変ありがたいのだが、受付の白衣を着た2人の30代女性が妙にやさぐれていてびっくりした(笑)
その、やさぐれぶり! 合間合間の私語だとか態度が。
『さっきさぁ~19才の子いたじゃ~ん?つい忘れそうになって焦ったよぉ~ハイ。次の方~』
だとか
『この間さぁ~クラス会行ったんだけどさぁ~まいっちゃってさ~・・あ、尿はこちらにどうぞ~』
などと(笑)
いやいや、ふつ~もっとちゃんとキチンとした態度で仕事に臨むだろうよ^^;
職場の休憩時間じゃないんだからさ。
途中でタバコでも取り出すんじゃないかとすら思いました^^;
さて。
どこのこさんが前回の記事にトラバして下さり、追記を書いていたのだが長くなりそうだったので独立してもういっこ、書くことにしました。^^;
*どこのこさんの記事
『涙するのは今』
http://doconoko.hateblo.jp/entry/2014/05/29/192121
んで、私、今思ったんですが、つか、ソコにこだわる自分が自分でもわかりませんが(笑)なぜに貧乏暮らしなのに男が24色のものクレパスを買ったのかっつー問題について(問題か)ですが。
多分、ふらふら街を歩いていて目について衝動買いしちゃったんじゃないか、と思うわけです。そのクレパスを。
決して心底欲しくてお金貯めてた(貯めなきゃ買えない値段だったかわからんが)わけじゃなく。
だから、そのクレパス(クレヨ~ンじゃないところがまた)を見た瞬間、俺はもしかしたら絵の才能があるのかも知れんとかちょっとは思ったに違いないよ。本気ではないにしろ。
きっと彼女にしてみれば、その日はいつもよりちょっと奮発して夕食のコロッケを2個づつにしようと思っていたのだ。
だけど瞬時に諦めた。あ~あ・・ではなく、むしろ、彼が絵を描き、それを眺めている自分を想像し、そこに小さな幸せを見出して。
だからコロッケは3個買った。
彼は2個。自分は1個を食卓に並べる。
『あれ?1個でいいの?』
『うん。あんまりお腹空いてないの。』
『そっか・・でももっと食べなきゃ身体壊すぞ。俺の半分やるから。』
そんな男の、優しいようで深く分かっちゃいないぶりを彼女は分かりながらも、それでもぐっとくるのだ。
『どうした?』
『ううん、何でもない。・・ありがとう。』
『うん。』 (なんじゃ、この勝手な妄想の会話は^^;)
男はそれで終わり。
コロッケを半分貰ったから嬉しくて泣いているんじゃないだろうことは分かっているが、そんなことに感動するほどこいつは俺を好きなんだな・・ぐらいは思うだろうて。または、俺も稼ぎが無いからな・・と、ちょっとやさぐれた気分にもなったかもしれない。
でも彼女が泣いているのはそんなことじゃないのだ。
貧乏なんて、彼さえいれば何てことない。
彼のそんな優しさぶりが嬉しくて同時に不安なのだ。
深いところの優しさがこの人にはあるのだろうか。自分のことを本当に分かってくれているんだろうか・・。(似顔絵も似てないし)
私をずっと愛してくれているだろうか。明日は?この先は?
そして。
自分の気持ちにも揺らぎがおこるんじゃないか。
そんなことになったらどうしよう。
彼が優しければ優しいほど、今の二人の足元ぐらぐらさを実感してしまうのだ。
で。
クレパスのことばかりではなく、部屋にはきっと中古で買ったか先輩に貰ったかした(こっちの方が濃厚)ギターもあったに違いないよ。
普段は部屋の片隅に置いてあるだけなのだが、たまに思い出したように爪弾く。
爪弾くっつったって、上手くはないのだ。
上手くはないが、優しい彼のぽつぽつとした歌声を聴きつつ、彼女はそこにまた小さな幸せを見出しているのだった。。つづく。
彼は確かに優しいだろうし、彼女のことは愛していたには違いないが、平気で風呂を待たすところにも、何つーか、、自己中みたいなものを読み取る。(おおげさ)
だって、彼女の髪が芯まで冷えているのは自分のせいなのに、『冷たいね。』と言ったのよ。
冷たいね、じゃなくて、まず、待たせてごめん、だろうが!・・と思っていたことを思い出しました(笑)
・・・そんなことから、(そんなことからって、コロッケやギターの話、歌詞のどこにあるんだ!^^;)この男の、かなり刹那的な生き方っつーか、真剣にお金貯めて将来云々・・というところまでは考えてはいなかったんじゃないか、と。
何かしらの夢は持っていたにしろ。
いや、う~ん・・俺はコレになるんだっ!と言う確固たる信念みたいなものは無いな、きっと。(ただの歌詞なのにそこまでの言いよう 笑)
だから男はたまにやさぐれていた。
自分の行く末、この時代、この生活。
そこに彼女のことは無い。 いや、彼女を幸せにしたい、という気持ちはあっただろうけど、日々の細かいことは見据えてなかった。
どこのこさんが書かれたように、彼女の足元は。
その『やさぐれ』は、決して彼女には見せない。
優しさの裏に、やさぐれがあったとしても。
その、見せない『やさぐれさ』をも、彼女は見えていたのだ。
だから不安だったのだ。
で、どこのこさんのブログからの勝手な抜粋ですが^^;
女の恋は点なのだ。
今はこんなに想っていても、次の瞬間には、そうでないかもしれない。
互いに好きだと確かめ合った瞬間はその瞬間だけで、明日には、いや今夜にはまた不安になる。
だから、何度も何度も訊いてみたくなる。
私のこと、好き?
(どうでもいいけど、青色にしたかったのに何故かつかず、赤ならついた。なんでだよ!^^;)
そして。
男のそれは線だから、一度好きだと言えば、それは嫌いと言い直すまで未来永劫有効だと思っている。
だから男は、遠い明日ばかり見て、女の足元のぬかるみに気づかない。
名文である。
線な男は、待たせられるのだ。
それは、きっと彼女は待っているから、という自信で。
点な女は、待っていられるのだ。待たずにはいられないのだ。
それは、きっと、いつ彼が(幸せが)するりと手元から逃げてしまうかわからない、ということを知っているから。
『神田川』は過去の自分たちを振り返った歌である。
私が思うに、この二人は自然消滅か、さもなくは彼女の方が別れるよう、しむけたんだと思う。
あざとい、とか策略家、という感じでは全くなく。きっと泣きながら。
時代背景とか貧乏さゆえだとか、いろいろ原因はあったにしろ、彼はもう二人が終わろうとしていることにも気が付こうとしなかった。または気が付かないふりをしていた。
しかし彼女はソレを自分に気が付かせたのだ。
彼のそんな優しさが怖かったことが現実となってしまったことを気づかせたのだ。
もう自分の絵をも描いてくれなくなったことを。
私のばやいは、途中まで、彼女のように彼を待っていたけど、どうにも嫌いな部分に我慢が出来なくなってしまった。
てか、我慢している自分に我慢が出来なくなってしまった。
そこが彼女と違うところなんだろうな~。もう嫌いだもんな~。
こんな歌詞を書くような相手がいなかった自分の乏しい恋愛経験よ(笑)
この歌詞のように、嫌いで別れたわけじゃない、っつーのは男性より女性のほうが多いんじゃないかと思う。
『駅』は大好きな歌である。
駅で見かけた見覚えのあるレインコートに胸が震える。
彼女から別れを切り出したのだと思うが、嫌いになったわけではなく。
そして付き合っていた当時から未だに着ている、少しヨレヨレになったレインコートと、どこか哀愁のある後ろ姿に、ハタと気づくのだ。
彼は私だけを愛していたんだ、と。
あの時傷ついたのは自分の方とばかり思っていたけど、実は彼は未だに過去を、自分ではそうとも知らずに引き摺っていたのだ、と。
いや、私の勝手な解釈ですが^^; (今までの、全部そうじゃん^^;)
そういえば・・昔見た記者会見で、ある力士が女優と別れた際の理由について
『もう愛情がなくなりました』
と言って記者団を黙らせた?(いや知らんけど^^;)ことがあった。
この男はアホか(大変失礼)と思った。
愛情が無くなった、そりゃそうなんだろうけどさ。
それ言われちゃ~何も言えんけどさ^^;
しかし普通、別れを切り出す態度や言い方は男の方が優しいんじゃないか。
だから、いくら愛情が無くなっても滅多に別れを切り出さないのは男の方が多いんじゃないかと思う。
それなのに公衆の面前でそんなことをストレートに言ってしまった彼。
言われた女優は、『あの力士から愛情がなくなったと大っぴらに言われた女優』として今後生きなければならんのだ。
素直すぎるというより・・やはり思いやりがないよなぁ・・。
待つ女。
ロックに目覚める?前までは、ひたすらラヂオでフォークを聴いていた。
小学生の頃である。
所謂四畳半フォークってやつ。3畳の部屋で聴いてたけど。
で。
小学生であるからして男女の何たるかもまだ分からんのに、そんなのを聴いて悲しくせつない気分になっていた(笑)
あぁ、これから私もこんな恋愛をするんだろうか・・とか^^;
大人の、なんだかちょっと淫靡な世界に憧れていたのかも知れん。
同棲という言葉をその時に知っていたのかどうかは分からないけど、結婚前の男女が一緒に暮らす、ということが、今のようなあっけらか~ん・・とした感じよりもっとなんつーか・・暗いというか、後ろめたいというか、そんな印象を持っていたのだと思う。
始めて聴いて泣いた曲は『神田川』であった。
大人の恋愛のせつなさがわかって泣いている自分は何とオトナなことよ・・と酔っていたのかもしれん(笑)
あなたが書いた私の似顔絵がいつもちっとも似てないのだ。
その似てない、というところにググッときていた。
まぁねぇ。
いつも驚くほど上手くてそっくりだった~♪(かなり字余り)・・何つー歌詞だったら、ちょっと違う方向(美大目指せ?とか)にいっちゃってせつなさ感ゼロだしなぁ。
しかし、24色のクレパスが買えるなんていいじゃん。私は12色しか持ってないのに・・という不満?を抱き、また、その直後の歌詞の『窓の下には神田川~』というところで急に視点を窓の外に持ってくるって方法は上手いな、などとエラそうに分析もしていた(笑)
更に、お風呂って女の人の方が長湯な感じなのにいつも先に出て男を待っているなんておかしいんじゃないか?どんだけこの男は長湯なんだ、とか、いつも待たされるってわかっているならもっと遅くまで入っていればいいのに、などとどうでもいいことを考えながら、四畳半フォークの世界にどっぷり長湯していたのだった。
ただ、
この曲の肝?である?[あなたの優しさが怖かった]というところだけは、さっぱり分からなかった。
優しいなら結構なことじゃないか。優しいのが怖いってどういうことだ??と。
まあ、優しい言葉をかけてくるオジサンには気を付けよ、とか、そんな犯罪系の偽りの優しさは分かっていたけど。
しかし小学生の私にとって、恋愛関係での男が優しいってことは優しいってことで、それ以上でも以下でもなかった。
そうじゃないことが男と女にはあるのか??・・と。
だからその歌詞はずっと得体のしれない何か不穏な、不安なものであった。
ところで、何でそんなことを思い出したかっつーと、先日読んだエッセイで、同じことを思っていた人がいたのだ。
何で、優しさが怖いのか分からなかった、と言う人が。
俵万智である。(この人、私好きじゃないのだが^^;)
で、俵万智も書いていたけど、20歳を過ぎた頃になってようやくその歌詞の意味が漠然と分かった。
怖いと思う対象は、優しいアナタというより、何かもっと、どうしようもない運命と言うか、購えないものがこの先二人に訪れるんじゃないかという不安、そして好きなのに別れる、っつーことがある、ということ。
それが『22才の別れ』になるのだな、とか。
何だかこう書くと、すごく私は貞淑な女のように思われるかも知れませんが(思わないか)20代の私はまさに、彼と銭湯に入っても先に出て待ってるタイプであった。
待たれる、ということが元来嫌い、というのもあるがそれより、先に出て待ってる彼が寒いじゃろうて・・と思ってのことである。
それならば自分が寒風の中、凍死しそうになっても待っている方がよい、と。
あ、一緒に銭湯入ったこと・・なかったか・・ ( ゚ω゚):;*.’:;ブッ ww
で、例え彼の絵がへたっぴぃだろうと何だろうと、私の絵を描く・・と彼が絵筆を持てば、私はずっと微動だにせんでドキドキしながら描きあがるのを待っていた。
・・描かれたこともなかったが。( ゚ω゚):;*.’:;ブッ ww2回目。
とにかくそんな、いつも『待つ女』であったのだ。
そして相手にとっては優しい彼女、であったと思う。自分で言うのも何だけど。
そりゃそうである。そりゃそうである、って何だけど。
だって相手に合わせて我慢していたのだから^^;
ところがどっこい。
ある日突然、待つことが嫌になっちゃったのだ。
えと・・待つことっていうのは比喩?ですが。
その人がじわじわと嫌いになっていき、最初はそんな自分の感情を否定していたけど、いったん坂道で蹴躓いたらそのまま急降下していくかのように、何かのキッカケがあったらもうダメなのだ。(このへん、常々きなこさんも強調している?ところ 笑)
そうなると、いつまでも洗い髪が芯まで冷えて小さな石鹸をカタカタならしていることに我慢が出来なくなっていく。
で。
とうとう別れを切り出した私に、男は驚くのだ。
昨日まで待っていてくれてたのに何で?と。
いやいや・・待っていたけどさ・・でも・・我慢していたんだ・・ごめんね・・
そう考えると、男性というものは『待つ女』が好きなのかな・・とも思う。
てか、昔は、かな。
流行った歌も、女はひたすら待つ、ものであった。
『待つわ』(byあみん)だの『待ちぼうけ』(by竹内まりや)だの『待っている女』(by五木ひろし)だの。待っている女は歌詞知らんけど。
寒さこらえてセーター編んでいるような。
一概に、ホントに一概に、だけど。
女は、好きになればなるほど優しさに敏感で、言葉の裏にあるものは何だろう?とか、ふっとした笑顔に陰りはないか?など常に不安だったり怖かったりするけど、男はそのまま女の優しさを受け止めちゃって安心しきっちゃうんじゃないだろか。
実は、怖いのは男の優しさより女の優しさ、なのに。
なんつて。
観てる人にしか分からん『MOZU』・・の感想のようなもの^^;> トラバ&追記あり。
迷いましたがあまりにもドロさんの視点が鋭く、毎回楽しみにしているのでトラバしてしまいました^^>
ドロさんの『MOZU』の感想であります。(シリーズもの!)
http://doroteki.hatenablog.com/entry/2014/05/22/210331
で、私もマネして^^;書いてみましたb
●先日、『ダルマ』の正体は小向さんじゃないかとか書きましたが(単に顔が似てるってだけで 笑)それだとどうもお話がおかしくなって、ワケわからなすぎなので撤回(笑)
●2作目のみ本で読んだのだけど、ダルマの『ダ』の字も出てこないのでやはり未だナゾである。
●でも似ているよな~^^;まさか、小向さんまで一卵性双生児だったっつー設定だったらどうしよう。
●新谷君の女装・・・。
ドロさんも書かれていて大いに共感したのだが、真木が(俳優名と役名ごちゃまぜ 笑) 『すみません・・女装していたとは見抜けませんでした・・。』という言葉に全国の視聴者は(おいおいおいおいっ!^^;)と思ったであろうよ。
●爆発現場に貼られた手紙ってちゃんといちいち追悼文みたいなのが書かれているのかな。
●石田ゆり子がバッグに爆弾を忍ばせたとしたら、彼女はその時点でソレが爆弾だと知っていたのかな・・。
その後、ビルで変装を解いて友達と一緒にいるところに、走りよってくる筧を見た表情が、あれ?・・という感じであったし。。
もし、爆弾を仕掛けたつもりならばもっと恐怖のずんどこ、いや、どんぞこに陥った顔をするんでないのかな、と。 そうじゃなかったら演技へた?・・いあ、あの人そんなに下手じゃないもんなぁ。。
●爆発現場での新谷君が死体を漁るシーンで、女の子と目が合った時の姿があまりにもバケモノ然としていて怖すぎて笑ってしまった。殺人ナース姿も然り。
●長谷川博己は『家政婦のミタ』のパパ役の時は、どっか頼りないながら優しそうな顔しとるのぅと思っていたのだけど、MOZUで観ると結構悪魔っぽい顔してるんだなぁと思ってしまった。まあ、そのような表情をしてるからだけど。
● 伊藤淳史って『ちびノリダー』だったことをこの間始めて知って愕然とした。
いやいや・・歳とるわけだわ。
●生瀬はもうあちこちのドラマで見るので、急に出てくると、アレ?この人いい人なんだっけ?どんな人の設定だったっけ??と混乱してしまう。
●もう同じ俳優をあちこちに使うのやめとくれ~!
●西島さんたちは何処でもタバコを吸っとるねぇ。今回(7回目)でも高級そうなレストランで吸っていた。
いまどき喫煙出来る場所がそんなにあちこちあるのか??・・とも思うのだが、原作の設定は88年頃だから・・いいのか。ハードボイルドだし?
●レストランで西島さんが新谷君に『今日は女装してないのか?』って結構声デカいからこっちが焦ってしまった(笑)
それに、父親は俺が殺した、だとか・・だから声デカいよ!(;;;゜ω゜;;A)
●吉田鋼太郎(という名前だと、ドロさんのブログで始めて知った)に対しては、以後、何を見ても私しゃ怖いだろうと思う。
何が怖いって、怖さのチョイ足しアイテムとなっている、うなじにかかる毛がピンッと立っているところが怖い。
・・・と言うことで。はーすっきり。(すっきり?^^;)
最近、西島さんのマネ(MOZUに限る)を家でやっている。
えと・(;;;゜ω゜;;A)文字でモノマネってどうなんでしょう・・
おまえは・・ダルマを見たことがあるのか!?(コツ:太字部分のみ声デカめ&ドスを利かせつついそいで言い切る)
俺は・・・深大寺で見た!
(解説:調布市・深大寺では毎年3月3日・4日にだるま市を開催しています)
・・結構似ているのだが、お聞かせ出来ないのが残念である。
*原作を読んでらっしゃるきなこさんのブログにトラバ♪
『ちょびっとMOZU絡みのヒトリゴト』
http://kinako.hatenablog.com/entry/2014/05/23/235149
原作に『だるま』や『何とかアルファー作戦』も出てこないらしい。
私は2作目の原作を読んだのだが、だるまのだの字も出てこないので変だな~思っていた。
そうそう、もっと名前の知れない、且つ演技の上手い役者さんを見出しだいもんである。
ソレ以外の音。 トラバ&追記あり。
前回のブログで、くみちょうさんから頂いたコメントで思い出した。
昨日、どうにもこうにもどうにもこらえきれずに(そんなにこらえるこたないが)MOZUの原作シリーズの2作目『幻の翼』を図書館で借りて読んでしまったんですな。
いやいやびっくり。
あろうことか、あの人があんなことに!(;;;゜ω゜;;A)
・・で。(´・ω・‘) (↑どんなことになったんだよ~^^;)
書きたかったのは地味に『カセットテープ』の話であるよ。
『幻の翼』は、88年の話である。
ケータイ電話が普及しはじめたぐらいの世の中じゃなかったかのぅ(遠い目)
んで、話の中で悪い奴らの会話を密かに録音しちゃったよ、というシーンがあるのだが、その録音方法が何と『カセットデッキで』なんですな!
今だったら何かあるんでしょうねぇ、密閉された場所でもちゃんと録音出来る機能が付いた盗聴器みたいなのが。よく知らんけど。
しかしバリバリ昭和のアナログな私はソコは違和感なく読んでいた(笑)
違和感ないどころか未だに現役で使っているのだ。カセットデッキを。
えと・・まぁ、CD付きだけども。
曲を覚える時はCDからカセットテープに録音して、ガチャンコと巻き戻しや早送りをしながら覚える。(だからテープがすぐ伸びる^^;)
それにしても今の録音技術は完璧すぎて、それはそれでいい音が聞けていいんだけど、なんかつまらんな、とも思う。
音楽番組も口パクばっかで視聴者なめとんのか!とも思う。
ライブだって人によってはそうだったりするみたいじゃないか。
けしからん。
生で歌ったり演奏するから、そこに緊張が生まれ、それが伝わるから楽しいのに。
ちょっと走ったり、もたついたり、音程をはずしたり、でもそれが良かったりするんだし。
そういえば前にテレビで平井賢が熱唱のあまり音程を一部はずしたことがあって、歌い終わってからシマッタなぁ・・みたいにぺロッとちょっと舌を出したのが昭和っぽくて可愛かった。
で。
何か知らんけど再びカセットテープが見直されてきている、という話をどっかで聞いたのだが、どういうメリットで見直されてるんだろ。
CDなどに比べたら何のメリットもないと思うんだけど?^^;
しかもメリットどころかデメリットばかりであろう。今にすると。
音は悪いし、テープは知らんうちに絡まるし(私の場合だけ?^^;)
変な風に音が伸びて、あ~あ・・と思いながらテープを慎重に取り出す。
で、穴の中にえんぴつを突っ込んで、グリッグリッと回して整える。
どうか治っててくれよ~と思いながら再びガチャンコと入れなおす。
そんなめんどい作業。
子供の頃は勿論CDなんぞなかったから、例えばテレビで流れている好きな曲を録音するときはそりゃもう大騒ぎであった。
まず家族に、これから録音する旨を告げる。
今から録音するからシーッだよd(≧ε≦o)ノ゙))
・・と。
で、テレビの前になるべくカセットデッキを近づけて息を止めて録音ボタンを押すのだ(笑)
しかし、母の方は一旦は、あ、そう、と了解したものの、ご飯作ったり何やかんやでそんなこたぁ知ったこっちゃないのだ。忙しいのだ。
だからすぐに忘れて台所から『アンタそういえばさー!』などと声をかける。
その声がしっかりテープに入る。
そのうち何も知らなかった父がいつのまにかお風呂から上がってきて、『花梨、風呂入れ』などと言いながらブッ・・と、オナラなんぞをかます。
オナラの音もしっかりテープに入る。
例え黙っていたとしても狭い団地のこと、ガチャガチャと食器が立てる音や、ドアをバタンと閉めるなどの生活音は容赦なく混じってしまう。
そんな母や父の声やオナラの音入りの好きな曲のテープを飽きもせず私は毎日聞いていた。
百舌じゃないけど、たまにこたつの中にカセットデッキを密かに隠して家族の声を録音したりもした。
音も悪く声もくぐもっていたけど、後になって皆に聞かせた時は爆笑しあった。
ちょっと前に話していたのに何だかずっと前の自分たちのような気がしてくすぐったく、懐かしい気がしたのは何でだろう。
結婚して何年かしてもたまに思い出してはそのテープを聴いていた。
父や母や妹の声、子供の頃の自分の声、何てことない会話、あくび、茶碗を置く音、咳。
もう、曲なんてどうでもよく、ソレ以外の当時の、皆が揃っていた、もう二度と聞けない生活音の哀しく愛おしい懐かしさ。
アナログで良かった。カセットテープで良かった、と思う。
でも。
父が死んでしまってからは未だに聞けないでいる。
きっともう聞くことは無いと思う。
気憶に残っている声でさえ、再生するのはまだ辛いのだし。
*きなこさんがトラバして下さったです。
『長い、お別れ』
http://kinako.hatenablog.com/entry/2014/05/20/232350
きなこさんも似たようなテープを聴けないまま持っている、と言う。
本文を勝手に引用して申し訳ないが
映像がなくても、声があるのは、切なすぎる。
声は・・・言葉を超えて、私を呼ぶからだ。
死んだ人が発する生活の音は、あまりにもリアル過ぎて、その人が「居ないということ」を突きつけられるからだ。
・・・と。
きなこさんの記事を拝見して初めて気が付いた。
昔の声や音が切なくも懐かしく感じたのは、懐かしく思えたその時点でもそこにいた家族が健在だったから、なんだなぁ・・と。
父が死んでから、もうテープを聴けなくなったのは、懐かしいなぁ・・なんて思えなくなってしまったからなんだ。
もの哀しいより悲しいはもっとかなしい。そして悲しいことに再び接することが怖くなるんだなぁ・・と。
もし、懐かしいと再び思える時があったとすれば・・。
それは自分も死んであの世で父に会えた時かも知れない。
何てことない粒やき その3。
●まずMOZUである。
ホラーとアクション映像が同時進行のドラマって初めて観たかもしれん(笑)
この間の舞台も、ホラースポットの王道である『病院』であるし。
この監督(存じ上げないけど)は絶対ホラー映画も撮っているに違いない!と思って調べてみたら『おっぱいバレー』とかだった。
関係ねぇー!( ゚ω゚):;*.’:;ブッ w ま、『海猿』もそうみたいだけど。
んで。
私の勝手な推測ですが、『ダルマ』ってあの人なんじゃないか?ほれ、あの人。(ほれ、って誰に言ってんだ?^^;)西島・香川・真木に一緒に組みませんか?って持ちかけてきた、怪しい男。役名も俳優名も分からないけど、よくドラマに出ているあの人。(ちゃんと調べんか!^^;)
だって似てるじゃないか、ダルマの絵に^^;
で、更に、実は西島の死んだ娘の、実の父親なんじゃないかしら。そうじゃないかしら。
●・・で。感情が全くガラリと変わり、腹が立った話である。
ドロさんが、隣の席の客の会話を耳にしての話をブログに書かれていて唐突に思い出した。(ドロさんの内容とは全く関係ない話ですが^^;)
十代の終り頃の話である。
ある日、一人喫茶店でサンドウィッチを食べていた。
隣に上司と部下らしいサラリーマン二人が座っていた。仕事中なんじゃないの?と思ったけどビールなんぞを飲んでいる。
赤ら顔上司『どうだ?新婚生活は』
気が弱そうな部下『・・はい。おかげさまで^^;』
どうやら、部下は新婚さんいらっしゃい、らしい。
すると続けて赤ら顔が
『奥さんちゃんと可愛がってるか?』
・・と。
可愛がってる・・・。
何も、いい子いい子と頭をなでているかどうか聞いているわけじゃないことは私も充分、分かっている歳である。
思わずカッときた。
なんつーことを聞いているのだ、と。
いくら上司だからっつって人様の性生活をアンタが知る権利はないんだよ!
てかアンタ(部下)もハイ、とか言ってんじゃねぇよ!^^;
また、知らぬとは言え、そんなことをこんなエロそうな赤ら顔の上司に確認される奥さん。
思わず席を立って
『このエロオヤジ!』
そう叫んでコップの水を赤ら顔の頭にぶちまけた。
・・という想像をした。(想像かい)
いや、ホントに、私はブルブル震えた手でコップを掴みつつ、椅子からお尻が浮いていたのだ^^;
実は喫茶店に入る前に当時付き合っていた彼と喧嘩別れをしたばかりでむしゃくしゃしていたから、いつになく強気な私であったのだ(笑)
でも、いきなり隣の席の見知らぬおなごにエロオヤジと叫ばれ、水をひっかけられた、その後・・、どうする?どうなる?
私はそのまま席を立って店を出たとする。
エロオヤジはいいとして、唖然憤然としている上司を目の前にして部下はどうするか・・その後、決していい関係にはならんだろう。むしろ余計なことしやがってとか思われるんじゃないか・・。
そう思い直して、やめた^^;
隣に座っていたおなごが、そんな衝動を抑えつつ、大人っていやだな・・と言う、うんざり感と怒りをサンドウィッチと一緒に口に押し込んで店を出て行ったことなぞ、二人は知る由もなかっただろうて。
●ようやっと図書館で予約していた本の上下巻が揃った。
イタリアのフィレンツェが舞台なのだが、方向音痴&地理音痴(一緒か)んで、美術の建造物音痴?な私なので、今主人公たちが何処にいて例えば教会の中がどのようになっているかの想像が全く出来ない^^;
こと細かく、細かすぎるほど丁寧に建物の内部の様子を描写してくれているのにもかかわらず。しかもソレを踏まえての面白さだろうに。
これ、住んでいる方や行ったことがある方は分かって面白いんだろうなぁ・・と、うらめし、いや、羨ましい限り。
例によって所謂巻き込まれ系追いかけっこの話(そんな表現でいいのか)なので、私の好きなストーリーではあるのだけども。
でいだらぼっちが見たいなあ。
たった今、コメントをしたばかりなのにすぐにリコメを頂くって嬉しいもんですな。
顔も素性もしらねど、あぁ、あの人も今確かにPCの前に座っているんだなぁ・・と思っていとおかし。
しかし、ここ数日、連休ボケじゃなくて連勤ボケでかなり疲れていたようで、仕事から帰ってきてビール飲んでPC開こうと思いつつ寝てしまい起きたらもう夕方でご飯の支度の時間かよ!・・てな感じで実に地味なゴールデンウィークであった。
ウィークはweekじゃなくて身体が弱っている意のweakですな!( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ
なので、せっかくリコメをしていただいたのにここ数日、すぐに読めずに残念であった。
で。
せめて本でも読んで、あ~だから今夜だけは心の旅でもしようじゃないかと、予約していた本が来ているとの知らせが届いていたので図書館に取りにいった。
来ていたのは上下巻の、下巻であった。
( ゚ω゚):;*.’:;ブッ ww
下巻から先に読めってか!先に犯人がこいつだと知ってから上卷読めってか。
なので、しょうがないからブックオフに行きました。
なんと!
図書館には無いのだが、新刊で買ってまでは読む気がせず、中古でならぜひ買って読みたかった本(フクザツなレベル 笑)がそこにあった。
伊藤三巳華(霊感ホラー漫画家)の本である。
『視えるんです』というマンガが面白くて読んでいたのだが、この人の『スピ☆散歩』という、実際にスピリチュアルな場所に行って視えたというものをマンガにしたっつー本がずっと読みたかったのだ。
・・・とは言っても、スピリチュアルって嫌いなんだけど^^;
本来の意味ではなく(本来の意味も知らないけど)今流行りのパワースポットというような使い方をされる中での『スピリチュアル』って言葉が。
何つーか・・さあアナタも一緒に魂を清め、精神世界の一つ上のステージに上がりましょう・・みたいな。うまく言えないけど。精神世界のステージって何じゃそれ。
だからパワースポット巡りなんつーものも全く興味がない。
そんなもんでパワーが付くならソレがあるところに住む人たちは皆パワフルだろうて。
・・と、そうまで嫌いなのになぜに買ったんだよ^;ってな話ですが。
面白いのだ。
この人があちこちで視えるモノが。
神社の屋根よりデカい『でいだらぼっち』みたいなものだとか、平安時代のやんごとなき人々の行列だとか、木の声を聴いたりだとか。サクラはネガティブで楠はお喋りだとか。
信じる信じないは別として、実際にいるいないは別として、見えたものが面白い。
で、ひねくれきった私が好む本なので、私は人と違ったものが視える特別な存在なのよヾ(  ̄▽)ゞオホホみたいなところは一切なく、真面目でもなく。
特に面白かったのは、奈良の天香久山を見た時の話。
不思議な山だなぁ、と思ったのだと。
小さな山全体を薄くて白いベールのようなものがすっぽりと覆っているのが見えるんだよ。@@:
すると、その場で同行者が、もしかしたらそれは持統天皇が詠んだ『白たへの衣ほすてふ天の香久山』の『白たへの衣』のことではないか、と推理する場面がある。
白い衣をふわりと山の上で干しているような、そんな情景が持統天皇も見えたんじゃないか、と。
実際、白たへの衣、は何のことを言っていたのか未だに謎なのだと言う。
そんなエピソードを読むと私は、ひゃっほいっ!(‘∇´*)と嬉しくなるんですなぁ。
神様が実際にいるかいないかと問われても分からんけども、いるとすればかなり不公平な方たちなんじゃないかと思う。
人間が都合のいい時だけ神頼みするように^^;神の方も都合のいい時だけ助けてあとは知らんぷり、なのだ。
かなりうろ覚えだけど、『白鯨』っつー小説の中で・・いや、読んだことはないんだけどその中のセリフだけどっかで読んだ。
主人公?がこれから白鯨と戦いに行くっちゅー時?(いい加減^^;)彼がつぶやくのだ。
『神よ、助けてくれなくてもいい。ただ邪魔をしないでくれ』
私はそのセリフを気に入っている。