花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

あまりに長くなってしまってタイトルが付けられん、ちゅー^^;

夢で、何か凄い重要な、これから生きていく上で、だか、金持ちになるヒントだか、そんなすばらしい啓示を受けたような気がして、えと~何だっけ何だっけ・・と今朝からずっと思い出そうとしているのだが、もうすっかりさっぱり思い出せない。

・・と、書くと、実は何やら秘められた凄いモノを洗剤的に、違った、潜在的に持っている人のように思われるかも知れませんが(誰も思わんっちゅー)所詮、私、である。

思い出せたとしても、何だソレかよ~^^;てなもんで、忘れちゃったから何やらすごい事だったという自己暗示にかかっているだけであろうよ。(何だ、この長いのに中身の無い前置きは^^;)

 

さて、そんなことで。

先日、凄い能力っぽい子の本を読んだ。

ベストセラーになっている(らしい)『学年ビリのギャルが偏差値を40上げて慶応に受かった話』とか何とか言う本である。

しかし、ところで。。

本にしろテレビ番組にしろ、長~いタイトルが当たり前のようになったのはいつからであろうかね。

『別府・湯けむり殺人!老舗旅館に渦巻く愛憎劇の果てに失踪した二人の女の謎の過去を追いかける木工職人刑事が追いつめた先に見たものは!?』(適当)

だとか何だとか、もうそのドラマを半分観たようなもんである。

んで、どうかすると『セレブ妻殺しの犯人は夫の愛人!?』などと、じゃあ、夫の愛人は犯人じゃないじゃん、と観る前から犯人が絞られる(絞られてはいないが)やつだとか。

・・あれ?サスペンスばっかりか^^; 普段サスペンスなんぞ観てないけど。

 

で、話は戻りますが、その『学年ビリのギャル』の本である。

ハウツーもんは大嫌いなのに何で読んだかっちゅーと、ホントかどうか知らんが

このギャルさん。

例えば

聖徳太子ってチョー可哀想だよね。いくらデブだからって名前にまで付けなくたっていいのに。』だとか

菅原道真って知ってる?』と先生に聞かれて

『う~ん・・えんぴつ?』と答える。

えんぴつて。 あっ!そっか!道真をどうぐ、と読んだんか!(笑)

んで、確か勉強関係の名詞だったよな・・との気憶との合体か?

 

・・と、そんな子が慶応に行った、ということにちょっと興味が引かれたのだ。

そこにどのような面白い道のりがあったんだろうか、と。

それがこの本を読ませる狙いだったんでしょうけど。

だからハウツー本つーより、私は、うーんと・・例えばトランプで大貧民が大富豪になった、みたいな面白さを求めて読んだのですな。図書館で借りられたし。

 

で、読み終えた結論。

やっぱ世の中、金かよ!

・・である^^;

 

あと、強いて言えば、恐ろしく素直。スポンジのように何でも吸収出来る体質だから、か。

実は・・もしや、勉強嫌いな中3の娘にも適用出来るんでは?とのやましい気持ちで読んだという理由もあったが全くの無駄であった。

素直&金持ちという2大要因が全く無かった(笑)

 

このギャルの家の場合は、何百万もの塾代その他を注ぎ込んでの、その結果なのだ。

最初、母である『あ~ちゃん』(失礼だが、ナニがあーちゃんだよっ^^;)は無理解だった夫に頼らず、貯金を切り崩してパートなぞして塾代を払っていたが、しかし結局会社経営の夫に頼むんだ。

夫も、このおバカな娘がもしかしたら慶応なんちゅーところに入れる・・?と思ってくるや、結局、金を出す。

何だ、金持ちなんじゃん。。

歴史漫画を全巻取り揃えたり、1週間ホテルで勉強したり、何校も受けたり。

多分、この本を読んだ多くの人たちはそんな感想を持たないと思うけど^^;

 

それに、そんな土壌に妬むのは抜きにしても、もう大富豪で勝ち抜いてきている時点でだんだんつまらなくなってしまった。

これはノンフィクションだが、例えば海外モノのフィクションで言うと、シドニィ・シェルダンのような、大貧民が知恵と勇気で成り上がっていったり、大富豪がちょっとした階段の踏み外しから次第に没落していく様、なんかを描いた話の方が私しゃ面白いのだ^^;

 

 

きなこさんが自身のブログに書かれている言葉がある。

合格の秘訣は。

貧しいことである。 


 いつもは事前無許可で勝手にトラバさせてもらっているが^^;今回はちょっと躊躇してしまった。(結局させてもらったっつー^^;)

きなこさんが書かれることにいつも私は共感を持ちつつも、かといって、私もね、、なんて軽い気持ちで例を挙げることなぞ出来ないという思いがある。

例えば、命に関わるような病気をしている人の話を聞いて、『私もこの間風邪ひいちゃってさ~』と言うような。それは極端でしょうけど。

自分も、さぞアナタと同じなのよ、と例を持ち出して、だから頑張って、とはげましているようで、逆に傷つけている。

 

友人には車椅子の子供がいる。

24時間テレビなどで、車いすの傷がい者が出てきて感動を与える、というエピソードが大嫌い、だと言う。

さんざん悩んで苦しんで悲しんで、それでやっと今の生活なのだ。

普段はそれを踏まえての平穏な生活の中での、家族団らん中のテレビなのだ。

それをまたほじくられて突きつけられて、更に健常者目線で、感動しました、とやられる。 

だから嫌なのだと。

 

 

私の父が大病をした時に、ある人から『私の叔父も同じ病気でさ~病院たらい回しにされて云々』と話されたことがある。

その人は単に、病院をたらいまわしにされた、ということを話したかっただけなんだろうけど、結局はどうなったの?叔父さん、死んじゃったんだよね?と思った。

父と同じ病気の例を挙げて、結局死んじゃった、って話じゃん、と。

それが例えなぐさめようとしてくれて『助かったんだよ』という結果だったとしても、それはその人の場合だよね?と思う。

安易に、そうそう、私も(私の○○もね、)なんて言えることじゃないのだ。

 

・・・で、くどくど書いてきて何が言いたいかと言いますと^^;

 

だから。

きなこさんが書かれたその言葉は、きなこさんの生きざま(・・って書くとそんな大げさな^^;と苦笑されそうですが^^;)から吐き出された言葉であり、私はコメントに、名句です!なんつって軽く書いてしまったけれど、トラバさせて頂いたきなこさんの記事の重みとは全く違うながら、私も私の中で、『合格の秘訣は。貧しいことである。』との言葉に共感したい、ということが言いたかったのですな~^^;

単なる、私の場合は・・と例を出すにあたっての言い訳?でありますかな^^;

 

んで。私の場合。

今まで最大に勉強した、と思うのは、車の免許、である^^;

狭い日本、必要ないと言えば必要ないのだが、その時は必要だと思った。

年老いてきた親が動けなくなった時の為に送り迎えがしたかった。

・・・と言えば何か親孝行な娘っぽいけど、単に車の運転がしたかったっつーことと、身分証提示で、車の免許証か何かお持ちですか?と聞かれて、いえ、ありません。と答えるのがくやしく、かと言って保険証を持ち歩きたくなかった、っつー理由の方がでかい。^^;

で、高い教習所代。 1円たりとも余計に払いたくなかったのだ。

学生の時は授業中に鼻くそほじくっていたりしたが(うそうそです!^^;)車の教習所に於いては、もう、学科なんぞ一言でも教官の話を漏らさじ、てなもんであった。

だから技能も学科も一発合格ではあったが、学科は100点満点じゃなかったので(満点の人だけ名前が呼ばれた)どこが間違えていたのかと教官に自分の答案を見せてくれと詰め寄った。

うそです。ちょっとその必死さが恥ずかしくて出来なかったが、そのぐらいの気持ちであった^^;

だって、その間違えたところを間違えたまま車社会に飛び出すことが不安であったからして。

いくら99点取ったとて、1点の問題で、信号は赤で渡る、と間違えていたら大変なことじゃないか。(そんなことあるかい!^^;)

しかし。

何で答案返してくれないかね。めんどくさいんでしょうけど。

 

 

で、結局。

車維持費と駐車場代が払えずに車を売ってしまって現在に至る。

単なる身分証明としての役割はあるものの、来年1月の免許更新の金が惜しいっつー。

私は貧しさから合格を勝ち取ったようで貧しさに負けた・・・のか?^^;

貧乏って・・何だ(笑)