不安な結末。
昨日読んだエッセイに、著者の子供時代のちょっとした体験話がいくつか載っていた。
その中の一つ。
赤ちゃんの頃から通っている病院があり、そこの待合室に置いてある絵本が好きで行く度に読んでいたという。
しかし、ある時、いつものように同じその絵本を読んだら結末が違っていたのだ。
『あれ?』とは思ったものの特に気にしなかったと。
次に行った時はいつもの結末だった。それからもずっと。
違っていたのはその時だけだった。
そんな話である。
絵本のタイトルは忘れてしまったと書かれていた。
不思議だけれど、何ということもないような小さな体験である。
でも、私はソレに何つーか、、得体の知れない怖さと不安を感じてゾゾッっときた。
それは何故に、そして何の意思が働いていたの?・・と。
また。
これは全然不思議でも何でもないが、数年前の話。
まだ小さかった私の子供含め、近所の子供らが数人、外で遊んでいた。
もう夕飯時ということもあり、もう帰ってきな~、と呼びかけたがうちの子供は無論、他の子も遊びに夢中である。
すると、外で子供らをみていた一人の父親が言った。
『今日、サザエさん最終回だって!!』と。
途端に、ええー!!?と皆ビックリして蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの家に帰って行ったのだ。
私はうまいねぇ、と爆笑しつつも、一瞬信じて一緒にびっくりしたことにびっくりした^^:
もし普通に『サザエさん始まるよ~』などと言っても効果は無かったであろうよ。
別に誰もサザエさんを楽しみしている子供なぞいなかっただろうし。
あのサザエさんが最終回だから、なのだ。
例えば、ちびまる子ちゃんが最終回、と言ったとてこうはいかなかったかも知れん。
ええー!?と言って帰って行った子供らの顔は明らかに、焦っていたようだった。
最後だから見届けねば!・・というわけでもなく、最後はどんな結末なんだろう・・との興味というわけでもなく。。
何と言うか、、大変なこと、のっぴきならん事態になったとでもいうような。
あの永遠に続くかと思ったサザエさんに、何かしらの結末がつく、ということに対する、自分の日常の崩壊、というか。
えぇ、いつもながら大袈裟ですがね^^;>
決まりきった事柄、そうあるべき、とされているものが、思いもよらん時に、突然ガラッと崩れる。
それが大きなことではなく、ともすれば見落としがちな、普段気に留めてもいないような、そんな小さいことであればあるほど、何だかそれに裏切られた?ような、え?どうして??あんた今まではそうじゃなかったじゃん!・・というような。。
ちょっと前に、サザエさんやドラえもんの結末がネットで都市伝説的に流行ったりしたけど、そんなもんが流行った背景には、そんな、何か不安をかきたてるような心理があるんじゃないかと思ったりする。
そんな都市伝説は嫌いだけど
そんなもんに与えられた、理由の分からん不安、そんな不思議な裏切られ事象が、私は怖くて惹かれる。
ところで。
最終回で思い出したけど、アナタはあのテレビアニメ『天才バカボン』(これ自体知ってます?・・よね^^;)の最終話をご存知か。
書いちゃうけど、いや、合ってるか分からんけど、あのバカボン一家、何とアメリカ?に引っ越しちゃう、という設定で終わらせたんですな~。
最後、確か船に乗って、甲板では長いテープをバカボンが持っていて。
陸では誰が持っていたか忘れたけど。
それを見た時私は何歳だったか覚えてないけど、かなり衝撃であった。
なんつー終わり方だよ!・・と。
そしてそんな無理やりな設定で終わらせることもなかろうに、と。
アメリカに行った=もうこの土地でのバカボン一家のあれやこれやはオシマイよ、もう見られないでしょ?みたいな。
もう感知しませんよ、みたいな^^;
今にしてみると、あの頃は物理的にも心理的にもアメリカ(海外)って遠かったんだなぁ~・・昭和やなぁ・・と思うんである。
何か、主題と関係ないところにいっちゃったけど。
んで、また関係ないついでに思うに、サザエさん然り、クレヨンしんちゃん然り、作者が亡くなられた後も話が続いている、というところに残された制作スタッフらの手によってではなくて、何か別の、何かの力が働いて主人公らを動かしているような、そんな怖さも感じる。
いつか突然、その絵本のように作ったモノとは違う結末が放送されるんじゃないか、とか。