花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

どうでもいいような粒焼きですが(´・ω・`)

切ない結末だとか

今に始まったことでは無いが、ドラマや映画の謳い文句で観終えた感想を宣伝にしちゃうってどうなんよ、と思う。

今に始まったことでは無い、と書いたけど昔はもっとナイショだったような気がする。

もう観る前からどんな感情を持つかを既に知らされちゃうってな~。

しかも皆が皆、一様にそんなに統一の感情を抱くのか。

そりゃ最低限の情報はあってもいいけど。(特に映画はお金払うし)

しかし、例えば切り取ったワンシーンをチラ見せしてあ~コレ観たいなぁ・・と思わせる力量があればいちいち感情の解説をくどくどせんでもいいんじゃないか。

 

先ほどテレビで観たドラマの宣伝でも、『切ない結末』だと。

結末言ってどうする。

愛と哀しみの、とか、感動で泣けます、などは嫌だけどまだいい。

でも、切ない、ってな。。 

何に何を感じて『切ない』かは人それぞれだと思うしな。。

切ないかどうかはこっちで決めるのだし。

先に結末言われちゃうほうが何かせつないのだし。

ビックリ箱を渡されながら「これ、びっくりしますよ」と言われた感じ。

 

観られる方も多かろうが、そのドラマは切なそうだし、何より主人公が余命わずか、という設定。

そう言われちゃったら、私はもうそれだけで泣けてきて無理、なのだ。

 

 

はい。マニュアル通り

昨日コンビニで会計の際にポイントカードをレジの受け皿に置いた。

そのポイントカードを手に持ちながら店員が

「ポイントカードをお持ちでしょうかぁ~?」と言った。

・・・いや、今アナタが私のカードをお持ちなんですよ・・と心の中でつぶやいた。

 

 

 

とうとう来たか

ついったーのサイバー攻撃。

パスワードを抜き取られた日本人はそんなに多くない、って、一体誰に対しての何の弁解・慰めか。

該当しちゃった日本人その人にとってはムカつく言葉だろうなあ。

 

 

 

栗山

山下

 

常々、面白いなぁ~・・と思う。

コレ、近所のでっけー2世帯住宅の表札である。

一枚の大理石の表札にこのように名前が彫られている。

今アナタは栗山さんと山下さん、と横にお読みになったであろうが実は縦に読んでも同じ名字なのだ。(あ、気付いてましたか^^;)

奥さんと旦那さんのどっちの親が一緒に住んでいるのかそれとも親戚なのか分からんけども、まぁ、どっちかは実家姓だとしますよ。

んで、興味深いのはこのお二人、お互い名前の一文字が同じことに気がついていたとは思うが、このように縦でも横でも読める、ということに気がついて恋愛(またはお見合い?)したのだろうかっちゅーことである。

実は表札にしてみて初めて気がついたんじゃなかろうか、と。

その偶然にきっと運命を感じて盛り上がったに違いない。最初は。 いや今でも仲良しだろうけどさ^^;

 

・・・タイトルにどうでもいいような、と書きましたがホントにどうでもいいことですな(笑)

 

ちなみに、前にダイアリーの方で、夢の話を書いた。

http://d.hatena.ne.jp/hate7510/20121211/1355190685

夢って願望の方じゃなくて。

何故か私は怒りまくっており、他人の家のドアに飛び蹴りをして壊したっちゅー夢、である(笑)

・・・それは実はコチラの栗山さんの家のドアなのだ。

( ゚ω゚):;*.’:;ブッ ww 夢の中とは言え、すんませんです。

しかもこの時は仮名にしてたのにあっさり明かしてしまったという体たらくぶり。

 

 

 

断捨離

前回のブログからちょっと繋がった話ですが。

doconokoさんも声を大にして(笑) 断捨離を嫌悪し断捨離された後に見せられる整然とした部屋、その過程をぶっ飛ばしての(そんな言い方では書いてないけど^^;)迷いや躊躇などの人間的な体温が全く無い部屋が怖い、と自身のブログでも書かれている。

 

私もキライである。

『断捨離』・・という行為もそうだが、そも(←beautjwさんとkinakoさんのパクリ。ちょっとカッコイイと思っていたので使ってみたかった(笑) そも・・ ええと、何だっけ・・そうそう!

その言葉自体もキライなのだ。

何か『仏舎利』みたいではないか。

 

いや、仏舎利は好き。好きってお釈迦様の遺骨を好きと言うのでは無くその言葉の語感が。

別に仏徒でも何でもないけど仏教用語の語感が好き。

伽藍とか阿闍梨とか羅刹とか。 中2病か?

 

最初に『断捨離』なんつー言葉を編み出した人は『仏舎利』と語感が似ているからだったのだろうと確信する。

それに伴う、何か日常雑多なものから解脱し、達観したような感じ。

煩悩を断ち、モノへの執着心を捨て、いらんものをポイポイ捨てる。

奥様雑誌なんかには、その際に捨てるモノに感謝の意を表し今まで有難う御座いましたとお礼を言いなさい、とすら書いてある。

そうやっていらんものと良心の呵責を捨てればアナタの部屋も心もすっきり。悟りすら開けるかも知れん、と。

何だか疲れるなぁ~^^;

溜まっていた埃にもお礼を言ってるんじゃないだろか。溜めてないか。

 

私も捨てる時は躊躇なくポイっと捨てるが、使わないものでもとってあるものは多々有り。

その前に捨てるほどモノを買えないっつー^^;

 

そんなことより、うーん・・何と言うか・・

[断捨離をしている私]

・・に酔っているカンジが厭なのだ。

捨てるモノにいちいち、有難う、と本心から言っているんではなく、有難う、と言っているこの綺麗な心の私、に酔っているカンジが。

 

そんな人こそ私が断捨離したい。

 

 

 

 

 

 

 

kinakoさんのブログでトラバ・・ではなく言及して頂いた。

『せつない結末について』

http://kinako.hatenablog.com/

こちらを拝読して、うーむ~シマッタ~^^;と思いました。

何故って、泣ける、という宣伝文句は嫌だけどまだいい、と書いてシマッタから。

kinakoさんが泣ける、ということについて書かれたこと、全くもって同感共感である。

そして私も不思議に思う。

何故多くの日本人(人間?)は泣きたいのか。

金払ってまでそんなに泣きたいか?と。

 

ドラえもん』ですら泣く私は、金払ってまで顔を崩したくないのだ、人前で。