貰った記憶。 トラバあり。
遂に『集団的参戦権』が導入されましたね。あれ、そんな名前じゃなかったっけ。
この怒りがいかづちとなってあの方の頭の上に落ちてくれないだろうか。
そんなワケでここ数日は新聞を開くたびにむしゃくしゃして、しかしどうすることも出来ずにただひたすら仕事でパンを焼く日々であった。
さてしかし。
そんな面白くない気分ながらもこの間買った怪談本がこれまた面白かった。
やる気のないオヤジのいる古本屋で108円。
期待していなかったから余計。
ただ、何故だかこの手の本って誤字脱字が多い。なんでかね。
ちゃんと校正しといてくれよ、と思う。
例えば、それまで『斉藤さん』がどうたら・・と書いていたのに急に
『斉藤』は・・と呼び捨てになっている。何で急にフランクに。
または、『東京』が『右京』に。
または、Kさんとの仮名がいつのまにかSさんになっていてもう誰の話だ。
せっかく怖さを満喫しようとしているのにそんなことでちょいちょい突っかかるのだ^^;
でも内容自体は面白かった。
特に『ゴソウ君』と言うタイトルの話。
ちょっと長くなりそうなんですが、こんな内容である。
体験者の『スガ君』が兵庫県に住んでいた小六の頃、夏休みも間近という時期に転校生が来た。
五艙(ごそう)という名前の男子である。(これは本名だと思う)
お笑いが好きなスガ君は、面白い彼とたちまち仲がよくなった。
漫才コンビのようにいつも二人でギャグのネタを考えてはクラスの皆の前で披露していた。
特にウケたのが、へんな格好をして『タ~二~シ~』と叫ぶギャグである。(もみじまんじゅう~みたいなもん?^^;)
当時は川でタニシ捕りをするのが主な遊びだったのだ。
学校が終わっても二人はよくお互いの家で遊んだ。
ゴソウ君の家は大牟田公園の川沿いに建つ一軒家。
夏休みに入っても一緒にマンガを読んだり宿題をしたり、彼のお母さんが出してくれたおやつを食べたりして過ごした。
そろそろ新学期が始まるという頃。
スガ君は高熱を出して入院をした。
無事に退院はしたものの、しばらく安静にしなければならないのでまだ学校には行けない。
クラスの皆にもゴソウ君にも会えないのが残念だったが、一番気がかりだったのは、夏休み中にゴソウ君から借りていたマンガ本である。
新学期に入ったら返して、と言われていたのだ。
まだ2、3日は休みなさい、と言う母に
『だってゴソウ君に借りたマンガ本を返さなあかん。』と言うと
『ゴソウ君て、誰?』
・・と聞き返された。
『何で知らんの?夏休み前に転校してきた友達やん!何回かうちにも来てんで。ホラ、大牟田公園の横の、川沿いの家に引っ越して来た五艙君やん!』
『そこって、そら坂本さんのお宅ちゃうの?』
あ・・・、と思った。
坂本さんは幼馴染の女の子で、小さい頃はよく母と家に遊びに行っていた。
そして・・家は・・そうだ・・川沿いのアノ家だ・・。
今までそのことに気が付かなかったのも不思議だった。
でも。
確かにあの家はゴソウ君の家だったのに?
そこで彼のお母さんが出してくれたスイカの味まで覚えているのに。。?
やっと明日学校に行けることになった前夜、家中を探したがゴソウ君に借りていたマンガ本がどうしても見つからなかった。
そして、学校にはゴソウ君もゴソウ君の席もなかった。
皆に聞いたが、そんな子知らない、と言う。
先生にも訪ねたが、転校生なぞ来ていない、と言う。
あの、タ~二~シ~と言う一発ネタもスガ君が一人でやっていた、と。
帰りに慌ててゴソウ君の家に行ってみたが、そこには『坂本』と表札がかかっていた。
もう何が何だか訳が分からなくなった。
ゴソウ君がどこにもいない。。誰も知らない。。
もしかしたら・・高熱で入院中に見た夢や幻と現実を混同しているんだろうか・・。
それにしては随分長く、また現実身を伴った記憶でどうにも腑に落ちなかったが、ゴソウ君は夢の中の友達だったと自分を納得させるしかなかった。
十二年後。
スガ君は社会人になっていた。
仕事中に鳴った携帯に出られず、後で着信履歴を見ると見知らぬ番号だった。
留守録に伝言が入っている。
再生すると、男性の明るい声が言った。
『お久しぶり~。スガちゃんですか?ゴソウです。
元気にしてた?また電話するわな~』
五艙という苗字はそうそうあるものではなく、またスガちゃん、と自分を呼ぶのも当時の彼だけだ。
慌ててその電話番号にかけてみた。
この番号は現在使われていません、というメッセージが流れた。
五艙君から電話がかかってきたのはそれ一回きりだそうである。
・・・という話。長っ^^;
こんなに長くあらすじ書いてどうする、とも思いましたが書いてしまいました^^;
私はこんな訳分からん話が好きなのだ。
確かに経験したのに誰も知らない、そんなことはなかったと言う。
じゃあアレは何だったのだ。夢か幻だったのだと自分に言い聞かせても何か心の深いところが否定する。
いや絶対そうだった。だってこんなにハッキリ気憶が残ってるじゃないか、と。
そのどうしようもないもどかしさ。
本当は、もう一つの世界が確かに存在していて、そこにもう一人の自分がいる。
その重なり合った時空の歪みに、何かの拍子にヒョンと入り込んでしまい、気憶を貰ってきてしまうんじゃないか。
そんな風に考えることが大好きである。
そういえば。。
この話の舞台と同じ兵庫県の、あの議員ももしかしたら同じ体験をしているんじゃないだろうか。。
こちらはマンガ本ではなく領収書。
『確かに出張行ったんでちゅよー!!。・゜・(´Д‘#)・゜』と。
でちゅよ~とは言ってないか。
まあ、本当に行って真面目に仕事をしてきたのかどうかは本人のみぞ知ることである。
ただし。
こっちの話は全然面白くない。
*きなこさんがトラバして下さったですb
『子供の頃、夏といえば怪談だった。』
http://next-kinako.hatenablog.jp/entry/2014/07/05/214805
まさに、タイトルにあるように子供の頃、夏と言えばこぞってどのテレビも(大げさ?^^;)怪談、であった。
私の怪談好きはその頃から培われたと言ってしまいますよ。
きなこさんも書かれているように、グロいホラーではなく、障子にうっすらと長い髪の女の影が見える、というような『怪談』が好き。
そして、私にとって『怪談』は、小さい頃、テレビの前で指の間からこわごわと観ていたことや、友人たちときゃあきゃあ言いながら覗き込んでいた『恐怖の心霊写真集』や、この道の先はきっと異次元に通じているんだ・・と一人で妄想していたこと、そんなことをひっくるめての、『怪談』なのだ。
きなこさんのブログからの引用。
日常と非日常を分けるもの、あるいは、異形のものが巧みに混ぜ込まれた曖昧さに惹かれる。
そうともよ!そう友よ!(きなこさんのパクリ)
・・・と思いました。