仇討が許されるなら話は別だけど。
今日の朝刊を読んで、はぁ?と思った。
死刑囚の絵画展を有志の人が開くと言う。
展示者の中にはオウムの加害者や、アノ林真須美もいる。
コンセプトは、死刑制度を考え直すきっかけに、だそうだ。
死刑廃止の為の活動も行っている主催者は某死刑囚の従妹。
『こんなに繊細な絵を描く人がなぜ犯罪を犯したのか。死刑制度を考え直すきっかけになれば』云々との理由。
あの・・絵が上手いことと犯罪を犯すことって全然違う問題なんすけど・・と、読みながら思った。
冤罪ならばとんでもないけれど、まっとうな裁判を得て死刑が確定したっつーことは、そこに情状酌量の余地も無い、死刑に値する犯罪、っつーことでしょ。
理不尽に殺された人は、当たり前だが、絵を描くことすらもう出来ないのにさ。
新聞には2枚の死刑囚の絵が載っていた。
その一つのタイトルが『潔白の罪』
単純に思うに、この死刑囚はもしかして潔白を訴えている??
もしそうならば、もし本当に潔白ならば、とんでもないことであろう。
で。
もし、潔白でも何でもなく、本当に死刑に値する犯罪を犯した上でそんなタイトルを付けたなら・・
アンタ、何を言うか。・・である。
その人がどんな罪を犯したのか知らんけど。
私は死刑制度廃止には反対だ。
仇討制度が適用になったり、犯罪者の悔恨の度合いによって死者が蘇るっつーなら話は別だけど。
理不尽に私の身内や友人を殺した人がどんなに涙を流して後悔しようと、例え罪を許されてシャバに出たらまっとうな人間になると言う保証があろうと、私は絶対に許せないし、どうやって考えたら自分の子供を殺した犯人を許せるのか見当もつかんよ。
反対に、もしも私の子供や親、夫などの身内が死刑に値するような殺人を犯したら・・
やはり、死刑にしないで下さい、どんな罪も償いますからどうか生かしてあげて下さい、と願うだろう。
でも、しょうがない、よ。
もし死刑が廃止になって無期懲役になったとしたら、長く不自由な牢獄生活の中だとて、もしかしたら一瞬でも笑うことがあるかもしれない。
牢屋の中で好きな本だって読めるだろうし、ご飯だって貰える。
でも、あなたが殺した人はもうそんなことすら出来ないんだ。
だから、可哀想だし身も張り裂けそうだけど、しょうがないね。
死ぬしか。
そう思う。
そしてきっと私も一緒に死ぬだろう。
・・・って、勝手に身内が加害者設定で書いてしまいましたが(笑)
死刑が確定していたが、無実だと分かって何十年も経ってからようやく釈放された人も少なくない現状だ。
当時のずさんな捜査や、その人の無実、真実を見抜けなかった裁判官に対しては本当に腹立たしい思いである。
本当なら普通に仕事してご飯を食べて好きなことをして・・という生活だったろうに。
その人たちが失った日々を誰が返してくれるのだ、と。
そんな冤罪の可能性も鑑みて、死刑制度を廃止にしようということも分かる。
でもさ。
死刑が無くなったら確実に犯罪は増えると思うよ。
例え一生牢獄で生活する身であろうと、自分は生きているんだもん。
でも、憎っくき相手はこの世にいなくなる。ざあまみろ。
そう思って殺す奴だって出てくるよ。
もし今、母や子供が目の前で殺されたら・・
私は間違いなく犯人を刺すであろう^^; 夫だったら・・えと・・(笑)
そしたら死刑になったって何だって構わない。
自分が死んでも構わないと思って殺人を犯すような、そんな奴が一番厄介なんだろうけど^^;