花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

停電中に食べるご飯は味が分からん。  (タイトルと中身は全く関係ありません^^;)&ちょっと追記。

●最近『とっぴんぱらりの風太郎』をずっと読んでいる。

既読の方からは全く賛同されないとは思いますが(というより非難?笑)んで、こういう風に例えるのって全く好きじゃないのだけど、何つーか、NARUTOハリーポッター?てな感じで面白い。例えてしまったけど。NARUTOあんまり知らんけど。

全編通じてそこはかとなく漂うユーモア感ながら、実は底には悲壮感が漂っているところが。

で、800ページ近くあるので寝っころがって読んでいると手がしびれてくる。(寝っころがって読まなきゃいいじゃん^^;)

これで面白くなかったら漬物石にでもするところだが面白いので耐えている。

 

 

●ねころぐさん(id:sumihate)の記事『普通の定義』を拝見して、私、人のこと笑えんな~と思った。(勝手にIDコールさせて頂いて申し訳ないです!)

ねころぐさんのお知り合いの近藤さん、という方の話なのだが、荷物を送られてくる際のやり取りで

「コンドウさんって、普通のコンドウって漢字ですよね?!」

「はい、普通のコンドウです、よろしくお願いします。」

とのことだったのだが、送られてきた宛名に書かれていたのは

『金堂様』だったという(笑)

金堂て。

何かやんごとなきお方のような苗字であるのぅ。

 

それで思い出したのだが、まだ初々しいOL新人時代。(誰が?って、私が、です)退社際、『ワタナベ』と名のる人からの電話を受けた。

不在だった部長あてにメモを書いたのだが、その後私のメモを一目みた部長が

『凄い『ナベ』ですねぇ。』

と言い、それを見た周りの人たちも笑っていた、という。

そうなんです。

私は、メモに『渡鍋様』と書いたのだ。

 

渡辺でしょうが、ふつー!^^;

渡部かも知れんし渡邊かも知れん。

しかし『渡鍋』てあんた。どっかの鍋料理専門店の名前みたいである。

その時にどういう心持ちでそう書いたのか自分でも分からんけど、しかし確かにその時の私にとって『ワタナベ』さんは『渡鍋さん』と書くのが私の普通、常識だったのだろうて。 

大丈夫か?^^;

 

 

●この間、父と神保町を歩いた。

神田神保町、と言えば書店街である。

今どきのデッカイ書店屋が数メートル置きに立ち並び、また古書店も所狭しとひしめいている。

江戸と古書と妖怪が大好きな父は、ふと足を止めた店のショーウィンドウに飾られた古い妖怪絵巻みたいなものに目が奪われたようで、そこから動かない。

私は、『じゃああっちの店を覗いてくるね』と言って、レトロな看板の出ている古本屋に入った。

ギシギシと鳴る狭い階段を登る。

そこには私が生まれた年代に刊行されていた『小学○年生』やら、好きだったアイドルが出ている『明星』・『平凡』などの懐かしい雑誌がズラリと並び、またぬりえや玩具などもあった。

しばし、少女時代に戻ってそれらを眺めていて、ハッと気づくと小一時間は経っていた。

いそいで元来た道を引き返したが、もう、父の姿は何処にもなかった。

 

神保町は、父が勤めていた会社の出張所があった町である。

そこで一人で仕事をしていたのでかなり自由な感じだった。

だから、時間が空くと、きっとああやってふらふらと古書店を冷かして歩いていたんだろうなぁ・・と思う。

 

父が遺した本と同じものを何冊か古書店で見かけた。安いものだけど^^;

父が生きていた頃に、もっと本の話をすればよかった。

そして、こうやって一緒にこの町で古本屋巡りをしたかったなぁ・・と思った。

 

 

 

●ところで、残念ながら写真に撮れなかったのだが、神保町の雑貨屋で面白い付箋を見つけた。

哲学付箋、とか言う名前だったっけか。

小さな付箋に字が書いてある。

『と、私も前々からそう思っていた。』と。(笑)

難しい哲学書なんぞの段落の下に付けると、面白いぞ~。

・・・でもソレ誰に見せるんだ?^^;

 

 

●そうこうしているうちに、『とっぴんぱらりの風太郎』を読み終えてしまった。

読後の感想は・・

ひょうたんの栽培って難しいんだなぁ・・と言うことです。

ウソ^^;

陳腐な言い方だけど、漬物石なんぞより重い重い命が軽石のごとくポイッとつまんで捨てられてしまう。

戦というものの愚かさ、おぞましさ、どうしようもない哀しさ。