花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

土壌がなければ崩れるのだ。

●セクハラ・ヤジ・オヤジが自首するとは思えんし、もし自首するとしたら明日にでも名前が公表されるという時になってから潔いフリをして『私でした』と言うパターンだろうと思う。

●今回のそんな卑劣な奴が誰なのかを特定出来なかったとしても、バレるわけがないだろうと高を括っているような緩い状態にさせることが一番の問題で、もしかしたらバレるかも、とビクビクするようなところまで心理的に追い込めるような、声紋判断の高度な技術(高度な技術ってどんなのかわからんけど)が必要だよ。

●てか、傍聴席側の映像って無いのか? 

 

●セクハラオヤジの野次は卑劣だけど、昔、『さて、次はトイレタイムです。(CMのこと)』と言ってしまい、番組を解雇された司会のおじさんは何か笑える。

いや、ご本人にとっては未だに人生の汚点として残っている(というようなことを後年にテレビで言ってた)し、その後はどこの番組でも干されたという。

スポンサーのCMをトイレタイムだと言っちゃったんだからそりゃ怒られるでしょうし、なんでソレ言っちゃったの??と思うけど、それは視聴者も思っていることだから代弁してくれた感じではある。

 

●言葉は怖い。

ましてや、ブログのコメントは書き間違えたら消せるだけに、そう書き残した、ということはコメントした本人の確かな意志で持ってそう書いたっつーことである。

●議論好きな人のブログに書く反対意見なら大いにやってもらって結構だけど、そうではない、または、反論コメントは遠慮してくださいとまで書かれているブログに、わざわざ反論コメントを書くのは明らかな悪意だと思う。意識的か無意識的どちらにしても。

●ブログ主がそう書かれたらどう思うかを全く考えずに自分の意見や知識を押し付ける。

いや、自分はこう思う、と。それはこうなのだ、と。

●そんな人は、そうやって今までの人生を生きてきたんだろうな、と思う。

自分はサッパリとした、気風のよい、面倒見の良い人間だと思っている。

何言ってるのよ、赤に決まってるじゃない!と、悩んでいる人の肩をバンッ!と叩くっちゅーような。

あ、赤って例えですが。

相手のことを自分は100%分かっているつもりなのだ。

私はちゃんとアナタのことわかっているんだからね、というのが口癖だ。知らんけど。

一見頼もしく思えて、実は全く相手の心の細やかな部分に寄り添うこともせず、自分の尺度で相手に自分の考えを押し付けているのだ。

 

●何も単に反対意見がどう、と言うわけじゃなく。

私は例えブログ友に、いや~でもこれはこうなんじゃないか?などと書かれても、そうか~う~む・・なんて感じである。多分。

●矛盾しているかも知れんけど、普段から、コトバの裏に自分のことをブログを通して分かってくれている、同時に相手のことも分かっている(つもり)という関係が根底にあるから。 100%は分からずとも。

いや反対に、分からないところの方が多いと思う、と思っていることが大事なのだ。

●だから、普段から懇意にしていない人がいきなり現れて、こうだああだ、と反論されるというのは、開いた玄関からズカズカと土足で上がってきて、アンタの部屋のセンスはおかしい、などと言われるようなもんなのだ。

まず、アンタ誰?っちゅーことである。

 

●自分の発した言葉は、そんなつもりがなくとも、いつどこで誰を傷つけているか分からない。

例え親しい間柄とて。

私もいっぱいある^^;

はてな内で言えば。。

ある方が本のことを書かれていて、私はコメントで、ある本を薦めた。

その人は、文庫本では出てないので、出たら読みます、というようなリコメをされた。

しかし私は、文庫本でなくとも面白いからぜひ!・・みたいなことを書いてしまった。

後に、その人は自身のブログで、手に力が入らないので重いものが持てないのだと書かれていた。

それは、私がそんなコメントを書いた日からずいぶん経って、そして、本のことなんぞ一つも書いてないブログで、であった。

 

ショックだった。

 

無理矢理重たい本を薦めた私のコメントを読んで、彼女はどう思ったろう。

そして。

その時に、リコメではそれを書かなかった彼女の優しさを想った。

いや、そんな重い本は持てないんです、などと書いたら、どう思うか。。

きっと、しまった、と悪がるだろう、というところまで考えて書かなかったんじゃないか、と思う^^;

 

実際はどうであれ、そう思いあえる?彼女との関係を、私は好ましく思う。

それは普段からブログを行き来して、コメントしあい、ああ、この人はこういうことが好きなんだな、こういうことが嫌いなんだな、ということが分かってきて徐々に培われた土台なのだ。

今のブログ友は、そうやって培ってきたつもりである。

 

だから、その人自身のこと、考えが書いていないブログは、培いようがないっちゅーか、その人のことを解り得ない。

 

 

 

・・・と、私、今までそれが心残りで、やっと書けました^^;

ごめんなさい。

 

 

 

 

 

●今回、心無いコメントに、そのブログ友が傷つけられた。

心無いコメントをした人と友人は(私とも、だけど)何も土壌がない。

(そもそも、多分土壌はつくれなかったと思う。)

だが、突然やってきて反論された。

相手との土壌がしっかりしていれば、雨だろうと槍だろうとびくともしない。

てか、もとから雨や槍なんて降らさないけど。

 

 

私は、遅筆で、ブログも精々一週間に一個書いたり書かなかったり、なので、この場に踏みとどまるけれど、でもコメント設定をはずさせて頂いた。

 

 

もうここを読んでないでしょうとは思うけれど、コメント欄が無かったら(いや、コメント拒否がどんな状態になっているのか分からんけど)アナタのことであるよ。申し訳ないが。