花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

アリのままの姿見せるのよ  トラバ2つ&追記あり

 

 

最近、アリを家の中で見るようになった。

梅雨が近い、っちゅーことである。

彼らは来るべき梅雨時に備えて雨宿り場所を確保すべく(知らないけど)ボロい我が家の、例えば廊下の両側の、床材が老朽化してちょこっとめくれたところなんかに、濡らしちやいかんものなんかを運び出すべく、あらかじめもって偵察に来ているのだ。(知らないけど)

こんなことを書くと非道極まりない奴だと思われるとは思いますが、そんなアリたちを家の中で見つけると、即、ぶっ潰す。(ひど・・)

いや、普段、外でうろちょろしている彼らは、なるべく踏まないように気を遣っているんですよ。えぇ(;;;゜ω゜;;A)(必死)

で。 

蜘蛛は逃がす。

蜘蛛は小さい虫なんぞを獲ってくれるし、神の使いだとも言うし、逃がしてあげたら何らかのご利益でもあるんじゃないかっつー腹黒さで、決して殺さない。

てか、アリよりデカいので、つぶすのを躊躇しちゃうし^^;

 

そんなことを毎年繰り返している。

直接殺すのは可哀想だからあらかじめ殺虫剤なんかを窓に撒いて牽制したり、白いチョーク(石灰が嫌いらしいから)でベランダの桟のところに線を引いて、『え~危ないので白線の内側までお下がりくださ~い』と、車掌の声で注意を促してあげているのにもかかわらず!

それでも入ってくるのだ。アリというやつは。

 

この間、ふと、思ったのだけど、アリたちは、仲間が出先で人間に(私に、だけど)殺されても戻ってこないから、どうなったのかわからんのじゃないか、と。

で、じゃあ俺が確かめてくる、ということで次々に様子を見にくる奴が出てきてるんじゃないか、と。

なので、ちょっと考えた。

大けがを負わせたまま、巣に帰らせたらどうだろう、と。

怪我をして瀕死の状態のアリの、ありのままの姿を仲間に見せるのよ。

そうすれば、やばいじゃん、あの家、っつーことで雨宿り先を変えるんじゃないかと。

まだやったことないけど。

 

・・あ~あ・・こんなこと書いてしまった私こそ、ありのままの極悪非道な姿を見せてしまいました。

 

 

・・・ということで、やっと本題であります。(本題じゃなかったんかい^^;)

 

アナ雪である。

 

なんでも、映画館ではあの、♪ありの~ままの~♪とヒロインが歌う部分で観客が全員で(全員でかは定かでないけど)合唱するそうではないか。

 

CMや少し前の海外ニュースで、外国の方たちがそうやってアナ雪を楽しんでいる、というのを見たことがある。

もしかして、それ・・マネしたの?^^;

 

 

他の映画にしても、外国の方たちって(おおざっぱな括り方^^;)ちょいちょい、ことあるシーンごとにリアクションがデカい、というような印象がある。

面白い時は大笑いし、時に拍手喝采。

日本人はそれに比べて、まあ面白かったら吹きだしたり、または大笑いもするけれど、おしなべて大人しく鑑賞している、という気がする。

貞子3Dというホラー映画でも、外国の方は日本人が怖いシーンでもあまりにもシーンとしていることにびっくらした、という話である。

ニホンジン、怖くないの?・・と思ったと言う(笑)

 

どっちがどう、どっちが良い、と言うわけじゃ全然ないのだ。

お国柄、というか、民族性の違い、と言いますか。

私は、どんな映画でも静かに観たいけど。

 

だから、何と言いますか・・。

アナ雪に関しては、君たちは心のソコから、魂の部分で、一緒に歌おうとしているのかね?・・と問いたい(笑)(おおげさ)

 

 

実際はどうであれ、私はなんか、そ~ゆ~の気持ち悪い^^;

例えミュージカルだとしても。

例え、皆さん歌っていいんですよ、と言われたとしても。

子供が思わず一緒に歌ってしまうのと、大人が一緒に口ずさむのとは全然違うよなあ。

酒場で酔っぱらって気が付けば他人同士肩組んで、懐メロを歌っていたのとはわけが違うのだ。

 

だから一緒に同じ歌を歌うことで話を、場を盛り上げる、という、はなからの心づもりで映画を観に行く、ちゅーことに抵抗がある。

泣けますよ、感動しますよ、と聞いて映画を観に行こう、と思うのと同様に。

 

人前で、公共の場で、オーマイガッ!と頭を抱えて叫び、見知らぬ他人同士で共に大声で歌いあう。

そんなスピリット、日本人、持ってないでしょ?^^;と。

実際に外国の方全員がそのようかどのようかは分からんけど、まあイメージとして^^;

 

もし、海外で皆が♪ありのぉ~♪なんて歌っている映像だのCMだのを見ることなく、いつもどおりのミュージカル映画として普通に観に行っていたとしたら、きっと誰一人、ヒロインに合わせて歌うことはないと思う。 心の中では歌うにしろ。

子供が一緒に口ずさんだとしたら、『こら!黙って観てなさい!』なんて怒られてたんじゃないか。

外国人たちが、一緒に歌うのは、思わず歌ってしまう、そういうスピリットをもともと持っているからじゃないんでしょか。

誰かがやっているから、じゃなくて国民のDNAがそうせずにいられない、というような。

だから、それと同じことを日本人がやる、ちゅーことは土台、そこに無理があるのだ。

同時に、そうやっている自分たちを客観的に見たいんじゃないのか?感じたいんじゃないのかね?

一緒に合わせて歌う自分たちは、何てアナ雪なの!?・・という風に。(意味わからん^^;)

そんな不自然さ、無理矢理の盛り上がりぶりに違和感を感じる。

 

私も好きじゃないながら、ずっと脳内でその歌が回っていた。

なので、映画館ででっかい声で一緒に歌っていいんですよ、なんつーことになったらディズニー好きな方なら尚更、盛り上がるであろうと思う。

会場と映画の世界が一つとなるのだ。 

共に歌い、共に戦っているような、そんな心を一つにして観終わった暁には、今まで経験したことのない感動が胸に渦巻いたまま、ついでにマックか何か買って帰途につくんであろう。

 

 

しかし、私は理屈抜きで何か嫌^^;

 

 

 

ちょっと関係ないけど、私しゃもともと『手拍子』をする、というのも嫌いなのだ。

お囃子、ではなく、手拍子。

人様が歌っている時にするのが嫌いである。

自分がされるのが嫌だっちゅーこともあるけど、じっくり静かに聴きたいし、聴いてあげたいから。

一緒に楽しむ、というより、その人の歌を楽しみたいと思うから。

 

昔、長淵つよしがまだ初々しいころ(笑)、どこかの会場で一人ギターを抱え♪おぉ~順子!と歌っているのをテレビでライブ中継していた。

途中から会場が一体となって手拍子が始まった。

手拍子で彼の歌もギターも聞こえにくくなったのは勿論、何かいやだなぁ・・と思った。

彼は、自分の歌を静かに聴いてもらいたいんじゃないのか。

手拍子なんかいらんのじゃないか・・。そもそも呑気に手拍子するような歌じゃないだろうて。

そう思っていたら、突然、歌を止めたのだ。

で、『あの・・申し訳ないけど、手拍子やめて下さい』と。

そうだろうよ。

宴会か何かでカラオケ歌っているのとはわけが違うんだし。

それに、ぜぇったいに皆で手拍子とるって、リズム狂うんだから。

歌っている本人だってリズムをとりづらいだろうて。

 

 

一人、家でビデオを観ることと映画館で観ることの違いは、当たり前だけど、大勢の見知らぬ他人と一緒に一つの映画を観るっつーことで、例えば、言葉をかわさずとも、感動的なシーンでは一緒に感動している空気が伝わってきて、のっぴきならん場面では会場ごと息をのむ、という空気が、または同じシーンで一緒に笑い合ったり、前の席に座っている人がそっとハンカチで涙をぬぐっているのが分かったり、、。

そうやって観終わった後にぞろぞろと出口に向かう人たちは、共に戦ってきた、または同じ体験をした同士、のような親近感がある。

私しゃそれで十分である。

 

 

*くみちょうさんもアナ雪合唱事件(事件か!)について書かれていたという、このシンクロ。 

IDコールをするか否か迷ってらっしゃるとのことで、いやいや有難き迷い、もぅそんな~全然嬉しいです(●´ω`●)ゞと思いつつ、お先にさっさとトラバしてしまったというずうずうしさ(笑) すんません^^>

『立ち食いステーキとか雪の女王とか』

http://strawberry-parfait.hatenadiary.jp/entry/2014/06/02/193928

で、勝手に引用^^;

ホントにみんな映画館で大声でそろって歌いたいですか。ほんとに?

 

・・・・ほんとに。ねぇ。^^;

 

*更にどこのこさんの記事にもトラバ。

『夏の終わりの「蛍の光」』

http://doconoko.hateblo.jp/entry/2014/06/02/224113

スコットランドという遠い異国の地でどこのこさんが体験された話が書かれている。

またまた勝手に引用してしまうが・・

あえて、同じ言葉に合わせない。

違う文化の人は、そのままでいいのだ。

それでも、十分に、楽しかったではないか。

 

美しい文章とその臨場感にジーン・・となりながら激しく共感しました。

そうだよ!そういうことだよ!!・・と。