花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

シンクロナイズド 本棚

あってるかどうか忘れたけど『他人の本棚』とか言う本を何冊か読んだことがある。

作家など著名人の家の本棚の写真がずら~っと載っている本である。

その人の本棚に並んだ書物を見せることで、つまり『その人の人となり』を同時に分からせるという意図の本であろうよ。

 

私は、人様の、つか、好きな人の本棚を(盗み)見たい方である^^;

だって、何つーか、ソレを見るとその人のことが一目瞭然に分かるという気がするからだ。

だから、その本にも好きな人の本棚が載っているかも知れんと思い、んで、ページを捲ってから初めて、あ!この人!と喜べることを楽しみとして、敢えて目次を読まずに借りた。

しかし!さほど好きな人もいないし、この人誰?な人もいたし、興味のある本棚も無かった^^;

 

ただ。

さほど親しくもない人は勿論、親しい友人の家に行って『本棚見せて~』などと言ったこともなければ言う勇気?も無い。

 

先の『他人の本棚』のように当人の許可を得て世の中に出された本棚なら、ちょっと覗き見気分で気軽に眺められるけど。

市井の人の本棚を覗くって、その人の家の冷蔵庫を覗くようなもんじゃないか、と、大げさかもだけどそう思うのだ。

冷蔵庫を覗くっちゅーことは、その人の生活事情を覗くということで、その人の本棚を覗くっちゅーことは、その人の心の事情を覗くような、そんな気がするから。

 

 

ところで。

最近、日々ごちゃごちゃしていて?なかなかPCを開けられなかった。

で、やっと今日、PCを開き、まっさきに愛読させていただいている方たちのブログを拝見した。

で。

何だ?今週のお題は『本と本棚』か何かか??と思うぐらい、何だかいろんな方が本や本棚について書かれているぞ!?とびっくり。

まだ他の方のブログを全て拝見し終えて無いのだけど、もうブログを書いてしまおうと思った(笑)

すんません、まだ全然トラバの承諾を取ってないんだけど・・。

ドロさんの記事『随筆真髄』

http://doroteki.hatenablog.com/entry/2014/03/28/025357

きなこさんの記事『胸の本棚』

http://kinako.hatenablog.com/entry/2014/03/28/095135

を拝見して、昔夢中で読んでいたエッセイ『パイプのけむり』を懐かしく思い出した。

今でこそ丸ごとオバサンである私だが、『おじさん』が書いているエッセイだと意識しながら読んでいた少女時代もあったのだ。

で、まったく失礼な話だけど、こんな偏屈?なおじさんが書いているのに何で面白いんだろう・・と自分が不思議であった。

そして、きなこさんが書かれているように私も佐藤愛子が好きになって、エッセイを読みまくったのが最近。

きなこさんの言葉をこれまた勝手に引用してしまって申し訳ないが

パイプのけむりの著者である團伊玖磨と、佐藤愛子

嫌いなことは嫌いだと断言することをはばからないこと

そしてそんな毅然とした行間に漂う、説明のつかない哀しさが愛らしさに繋がることも感じさせてもらった。

こと。

その言葉を拝見して、そうか、全く違うようなこの二人でもそのエッセイを受け取る側の心がこうやって共通項を見出しているんだなぁ・・だから好きなんだなぁ・・と思った。

だから、きなこさんが書かれた『胸の本棚』という言葉をお借りすると、私の『胸の本棚』にも、このお二人の本がはまっている。

パイプのけむりの内容こそ全然覚えてないけれど、これまたドロさんやきなこさんが書かれているように、きっと私のどこかの何かを形成しているはずだと思う。

ただ、実際に私の家の本棚にその本が無い理由は、単に図書館で借りていたから、だけど(笑)、きなこさんの無い理由には、じん・・ときてしまった。無くなったからこそ、より心に在る、のだ、と。

 

まあ、今の私を一番形成しているのは小学校時代に一大ブームであった中岡俊哉の『恐怖の心霊写真集』だと思うけど(それかよ 笑)

 

 

で。

くみちょうさんの記事『本棚をみたがる人』を拝見した。

http://strawberry-parfait.hatenadiary.jp/entry/2014/03/27/100121

またまた引用して申し訳ないが、『このマンガ見せて』と、気軽に言ったクラスメートに対して

自分が日々一日中嵐のように言い争いをしている家族達の不快な声に耳をふさぎながら、一人で必死にその世界に没頭するように読みふけったマンガを、のんきに楽しもうと思ってる同級生に貸したいと思えなかった。

・・・と。

 

 

それぞれの見えない本棚、見える本棚には、その本を入手した事情や手放した理由、その時々の想いが詰まっているのだ。

人によっては、私はこんな人間だよとお知らせしたい人もいるだろうし、私の家の本棚のように、単に見た方が迷惑だろうよ(怪談本ばっかりだから 笑)という者もいれば(いないか)もっと気軽に見たけりゃいいぞ~と言う人もいるだろう。

でも、それは当人しか分からんことなのだ。

また、友人は萩尾 望都のマンガをそれはそれは大事に本棚に飾っていて、決して誰にも触らせなかった。

そんな理由だってある。

 

 

だから、気軽に『本棚見せて~』なんて私は言えない。

 

そういえば、くみちょうさんの記事を拝見して、前にまめさんが書かれていた『本棚』の記事があったな・・と思い出し勝手に検索させてもらった^^;

『理想の書架』

http://nine-billion.hatenablog.com/entry/2014/01/31/232418

実はその時にトラバさせてもらおうと思って下書きを書いていたんだけど途中で断念していたんですな~^^>

 

(まめさんのコメント欄で初めて知ったのだけど、何とくみちょうさんが今回書かれたブログの予告をコメでされていたっつー!この繋がり!)

 

 

 

ドロさんはドロさんの人格形成期に影響を及ぼした思い出の本と十数年ぶりに古本屋で再会し、また違う驚きや感慨を持って再読されている。

おかえりなさい、という感じの本棚かな?^^b

また、きなこさんのお兄様が売った同じ本が巡り巡って、実はドロさんが古本屋で買ったまさにその本だったりして!?・・という感慨深い繋がりの面白さ。

 

そのきなこさんは、今は無い本を、無いからこそ胸の本棚に抱えている。

くみちょうさんは、今ある本棚が胸の本棚でもある。

そして、まめさんは今ある本棚ではなく、心の中にある『あの頃』の本棚が理想なのだと。

 

んで、私の家の本棚は扉を開けると怪談本が雪崩を起こすであろうっつー心身共に恐るべし開かずの本棚である。

 

 

そんな風に、それぞれの本、本棚にはそれぞれの想いがあるんですなぁ。

 

 

・・・と、しみじみ書き終えてアップしたら、アレだ。

前もそうだったけど、今もそうか知らんけど、下の広告が

『部屋の収納でお困りの方へ、隙間にピッタリ入る本棚』

とか言う宣伝なんだよ、きっと。

 

 

困ってねえよ!

そ~ゆ~ことじゃねぇよっ!^^;

 

 

・・・と、今アップして見たら違った。あれっ?^^;