花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

墓参りの日。  トラバあり。

父の墓参りに妹と行って来た。

足が悪くなった母とは、帰りに実家に近い駅で待ち合わせをしてお昼を食べる、というのが最近のパターンである。

 

母と一緒だと花屋で2500円の花と線香を買って供えていたのだが、妹と二人で行くようになってからは、ケチって^^;スーパーで98円の線香と398円の花束を2つ。父よ、すまん^^;

でも、大好きだった缶ビールはちゃんと買う。発泡酒じゃないやつ。

で。

母がそうしていたように『ホントは墓石が痛むからしちゃいけないんだけどね~^^;』などと言いながら上からドボドボかける^^;

 

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ありゃ!空をメインにお墓の上側をチョロっとだけ撮ったつもりが、結構本体ごと写ってしまった(;;;゜ω゜;;A)写された皆さんすんません!

 

 

お彼岸日和と言うか、今日は墓参りの人々でにぎわっていた。にぎわうって言い方は合ってるのか分からんけど。

 

でも、皆口数少なく、はしゃぐことなく(当たり前か)ただ淡々と墓を掃除したりお供えをしたりしている。

何となく見回して、年配の女性だったらこの人は夫が亡くなったのかな・・若い夫婦だったらどちらかの親かな・・などと失礼ながら勝手に決めつけて想像する。

お墓の中の人は生前どんな人だったのだろう、などと。

 

 

 

人がいなくとも、どんなに人がいても、いつも同じ、シン・・とした独特の空気が流れているのは、もしやして霊園ぐらいじゃないだろかね。

ま、うるさい子供にここで会ったことがないから、というのもあるかもだけど。

 

で。

これまた当たり前だけど、墓参りをしている人たちは、お互い全くの他人同士なのにそれぞれ死者を抱えているという共通点がある。

亡くなった日も違えば亡くなり方、その時の悲しみ、苦しみ、また現在の想いも当然ながら全く違う。

でも例えば、お花と線香と箒を抱えて墓の前ですれ違う時にするお互いのちょっとした会釈から、身内や友人などの『死』を経験した者同士の連帯感?のようなものを感じるのだ。

アナタも、どなたかが亡くなったんですね・・と。

すれ違う時にその余韻をすっ・・と交し合う、というような。

うまく言えんけど^^;

 

だから。

人がいてもいなくとも、霊園って結構好きである。

夜でも一人で行けると思う。(ほんとかー?^^;)

 

 

 

帰りに母と待ち合わせをして、三人でパルコの中にあるとんかつ屋『さぼてん』に入った。(妖怪へぇこいたさん、あそこです 笑)

 

 

もうこうやって三人で食事をするなんてこと、あとどれぐらい出来るだろう。

そんなことを思うと何かに追い立てられるような気持ちになる。

今のうちに言っておくことはないか、そうだあれも話しておこう、あんなこともあったな、、と。

 

お母さん。

私もだんだん耳が遠くなってきたよ~^^;

あの頃さ、何で聞こえないの?とか言っちゃっててごめんね。

3歳違いの妹もうなずく。

 

 

そお? そんなことあった?

笑いながら母はキャベツをつまむ。

 

あとさ。

今だから言うけどさ、私、生理が厭で厭でさ、よくスカート汚して言えなくて、タンスの奥に押し込んでいたんだよね~と、昔の罪を告白したらば、

あはは、と母は笑い

『あたしもさ、子供の頃、庇(庇?^^;)の間に押し込んだりしてたよ。』

なんだこの親子の血筋は^^;!

ソレ早く言ってくれればあんなことこそこそしなかったのにー^^;

 

そんな話題で笑い合いながら、小さなすり鉢に入ったとんかつ用のゴマを不器用にゴリゴリと擦っている、皺だらけの母の手がちらりと目に入ってちょっと涙が滲んできた。

 

 

*どこのこさんの『あなたも』にトラバです

http://doconoko.hateblo.jp/entry/2014/03/24/104727

また泣いてしまった^^;>