花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

いいところでナウシカ死んだの?と聞いてきたのが嫌いになった原因  トラバ&追記あり

タイトルは、私の自由律俳句ブログ『まさかチャリでくるとは』で載せた句(句、というのもアレだけど^^;)である。

 

きなこさんの記事『なんでみんなそんなに親切なの?』

http://kinako.hatenablog.com/entry/2014/02/24/133719

の中で映画のネタバレについてのエピソードが書かれており、再びその時のことを思い出した。

 

そうなのだ。

映画館ちゅうところは最もネタバレしちゃいかんところであろう。

そういえば、並んで待っている時に今まさにその映画を観終わってドアから出てきたカップルが大声で感想を言い合っていて、やめてくれ~!!と耳をふさぎたくなったことがよくあったもんだ。

まぁ、映画館内で今観た映画の感想を言ってはいけません!なんつー決まりはないので、そこはモラルだろ、って話だけど。

で、問題は、上映中に、である。

今まさにその映画を観ているのに後ろでコショコショとその先の展開を話されることほど腹の立つことはない。

いくら子供だからと言って。

きなこさんの記事を読んで私も腹わたが煮えくり返る思いであった(そんなに?^^;)

 

それとはちょっと立場?が違うのだけど。

若かりし頃、当時付き合っていた彼と『風の谷のナウシカ』を観に行った。

場所は地元の公民館^^; 無料上映していたのだ。

ジブリジブリ然(何だそれ)となった今はジブリ映画って好きじゃないのだが、当時、私は『ナウシカ』を何度も観てその都度感動していた。

もう決して虫一匹殺すまいと固く決心していたほどである。(注:蚊とGは除く)

で。

近所の公民館で上映することを知り、そんな感動をぜひ彼にも味わわせ、共にすばらしさを語り合おうではないかと思い、誘ったのだ。

 

彼がどう思っとったかは知らんが、上映中、もう何回も観た映画にもかかわらず私は再び入り込んでいた。

で。

ラスト間近。

怒りで暴走してきた虫の大群の前でナウシカが子供の虫をかばって身を投げ出し、あわや下敷きになってしまった!?という場面である。(どうも私が説明するとギャグっぽいが、とにかく物語のヤマ場)

横に座っていた彼が急に聞いたのだ。結構デカい声で。

ナウシカ、死んだの?』

・・・と。

 

 

・・・アンタは子供かっ!!

 

何と言いますか・・。うまく言えないのだが。

とにかく、その質問で彼がちょっと嫌いになった(笑)

 

確かに、ナウシカは死んだんじゃないか!?と思わせるシーンであるし、誰もが、どうなったどうなった!?とハラハラするであろう。

ましてやその先を知っている私が隣にいる。

なので、パッと手っ取り早く聞いてしまったのだろうよ。

 

でも、オトナなんだからさー^^;ここは黙って成りゆきを見守ろうよ^^;

それに私は、息をのむ、というシーンが好きなのだ。

のっぴきならんシーンで、グッと息をのむ。

一瞬、心の中がしん、となったような。

そして徐々にクライマックスへと導かれる。

その行程を彼と手と手をとりあい、共に歩んで行きたかったのだ。例えどうなったか知っていたとしても。

あぁそれなのに。

その時点で私から

『うんにゃ~。後で生き返るんだよ。』

とか何とか結末聞いて楽しいか?

 

まあ、ストーリーを楽しむほどナウシカに興味がなかったのかも知れないけど(笑)

 

実際は。。

私の言った

『観てれば分かるよ。』

の言葉に彼はムッとしていた(笑)

 

だってそれに、前の席の人が聞こえてしまったらそれこそ何と失礼な、モラルのないことであろうか。

それもあって、言わなかった。

しかし彼はそんな私の心づかいなぞ(自分で言うな~^^;)全く理解することもなく映画が終わってもしばらくムッとしているままだった。

 

 

 

そんな映画での言動に限らず、彼はすぐに白黒つけたがる、と言うか直情的、というか、とにかくグレーが無い人だった。

喧嘩になってもすぐに結論を出したがった。

じゃあ別れるの?別れたいの?と聞く。

んで、私が別れたくないと言ったらそこで喧嘩は終わりなのだ。

私が謝って終わり。

喧嘩の内容なぞ犬も喰わないのだが、しかしそんなことの繰り返しで二人の間での心の成長?みたいなものなんぞあるわきゃない。

私も気弱な奴だったので、別れたくないという気持ちに押されて自分の不満を言えなかった。

まだ好きなんだからここは我慢しなきゃいけない、と。

しかしそれがどんどん溜まっていった。

 

だから最後。

いきなり別れを口にした私に驚いたであろうよ。

彼にとっては青天の霹靂つうぐらいの衝撃であったみたいだけど。

 

私の心の中でずっとグレーなまま繋がっていた二人の間に、はっきり白黒がついた瞬間であった。

 

 

きなこさんが別の記事でトラバしてくださったです。

『結果と過程と男と女』

http://kinako.hatenablog.com/entry/2014/02/25/010004

んで勝手に引用申し訳ないが

私は、本筋に関係ないような些細なシーンも小道具も含めて、過程のすべてを味わいたいのだ。

・・と、きなこさんが書かれていて、私もそうそう!と思った。

 

前に、観ていたテレビドラマで主人公が使っていたお茶碗が私のと全く同じ!だと感動?した覚えがある^^;

それはそんじょそこらの100均で売っている茶碗だから、まあ、そんな偶然なんてあるんだろうけど。

しかし、感動したのは自分と同じ茶碗、ということのみならず、『主人公が100均で買った茶碗を使っている、という設定』っつーところでも。

ほぉ~そこんところもちゃんとしてるじゃん、と。(何さまだ^^;)

食べるので精一杯な家庭、という設定である。

もしそんな貧しい家庭で使っている茶碗がノリタケでおかずがマツタケかなんかだったら途端に興ざめしてしまうだろうに。(プロの小道具さんが選んでいるんだろうから内容からそんな高価なものを使わんだろうにしても^^;)

 

そんな感じで。

ちょっとした小道具や壁にかかっている絵や、またはちょっとしたセリフ、そんなものから読み取れる何かを感じながらその過程を味わうのが好きなんだよな・・と私も思った。