花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

ブログあっての俳句。

『夕暮れに葉が落ちつつや秋の風』っつー、人生の晩秋を迎えた老人が一人縁側で詠んだような、どっかで聞いたような下手な俳句を小学校の時に書いた(笑)

国語の授業で自作の俳句を作ってこい、っつー課題であった。

 

その女の先生は集めた俳句のプリントを手に皆の前で言った。

『この中に大人に作ってもらったような俳句がありました。大人に考えてもらったら意味がありません。心当たりのある人は後で職員室に来て下さい。』

 

あれ・・(;;;゜ω゜;;A)私の俳句のことだろうか・・。

すぅっと血が下がったような気がした。万引きを咎められたような。

だって、他のクラスメートの俳句は皆『卵の中にひよこがいて驚いたよ』(季語・・)みたいなものばかりで、ちょうど理科の実験で受精卵の観察をやっていたもんで(以後、卵嫌いになった者続出)そんな句ばかりが並んでいたから。

そんな中で、私の、この年寄りじみた地味な俳句は一際茶色く浮いていた。

 

俳句が好きだったのだ。

特に、~つつ、とか、~や、という語句が妙に気に入っていて(笑)使いたかったのだ。

で、ちょっと得意気な気にすらなっていたのに。

 

好きな女の先生だったが何か裏切られたような気持ちに勝手になって悲しくなった。

職員室に行って、違います!ちゃんと自分で作ったんです!なんて言えるほどの勇気も無かったし、確かに私の俳句のことかどうかもわからんのに、[大人が作ったような俳句] だと自分で認めたような気恥ずかしさとか奢り、みたいなものも感じて、結局職員室には行かなかった。

 

そんなことから、そんなどうでもいいようなことで卒業まで悶々としていて、ならばどうやって分からせるか(笑)と考え、卒業文集にまた歌を載せようと思い立ち、復讐みたいな気分で考えた。

母鳥を探して泣く子供の鳥の声を村人は風の音だと笑う、っつー母恋千鳥(知らないけど)みたいな歌を考え、分かってくれんせつなさをそれで訴えようと考えたり 爆)

そんなことを今でも覚えている私はどんだけ執念深いんだ^^;)

 

結局卒業文章に載せることもなくそれ以後、家で書き溜めていた自作の俳句ノートは空白になった。

 

私は内気な子供で、自分を公の場で表現する、ということが苦手だった。

低学年の頃の通信簿にはいつも『もっと元気よく発言してくれるといいですね』なんて書かれていた。

もっと元気よく発言しろなんて元気じゃない子供にはどうしたって無理なことだよ^^;

だから先生に分かってもらえなかったんだろう。

人前で発言するなんてことは愚か、ひたすら寡黙で地味な子だったのだし。

 

 

 

この度、自由律俳句(というものなのか分からんけど)を初めて書いてみた。

何だか面白いぞ^^;

普段、PCの取り合いだったり忙しかったりで、なかなか開けない時でもちょろりと書ける。

本当はブログでアレこれ書きたいけど時間がない。でも、この怒りを(怒りばかりじゃないが^^;)今ここで吐き出したい!なんつー時にはうってつけである。

また、削って書き過ぎたけど、コレ分かってくれるだろうか、いや、でもいいや・・と思うものでも、ブログ友が☆を付けてくれたりすると、え?これ分かってくれたの??@@:と、大いに驚き、嬉しいもんである。

 

それは普段ちょろちょろとでもブログに思ったことなんぞを吐き出しているからだろうな、と思う。

こんなことがあった、こう思った、などとブログに書き、それを普段読んでもらっているからこそ、そんな短い句でも分かってもらえたんだな、と思うことが嬉しいのだ。

 

きなこさんが前から『五行歌』をブログに書かれているけれど、普段ブログを読ませてもらっているからこそ、ぎゅうっと凝縮された句の中に織り込まれた濃密な想い、が分かって、ジン・・となる。

いや、100%きなこさんの想いが分かるわけじゃない。

それは当然、書いた本人しか分かってたまるか、である。

でも、分かったような気になり、また全部分からないというところがいい、と思う。

それがいい、と思う。

 

 

私が始めたキッカケは、モノスヤさんがブログに書かれていた、又吉&せきしろさんの本である。

以前、面白く読んでそのまま忘れていたのだが再び借りて読んだ。

その中の又吉さんが書いたものに

あ、正確な言葉は忘れてしまったが

エンドロールの途中で席を立つ人たちの影

とか何とか言う句があった。

ああ!分かる・・と思った。

映画を観に行った時はよく私も思うことである。

なぜ最後まで余韻に浸らんのか、と。

まあ、アナタには面白くなかったのかも知れんけど。

それでも、最後までちゃんと座って観んかぃ!・・と。

 

又吉さんはそれについての感情なんぞ一言も書いてないのに、そのイヤさ、苦々しさが伝わってくる。 

影、という言葉が長く伸びている。

そんな味わい。

 

そんなことで、再び歌が好きになった。

 

なんでかなぁ・・サラダ記念日には全く心を動かされなかったのに(笑)

てか、彼女の他の句はあんまり知らないのだけど^^;

だから言い直しますと、あなたが美味しいねと言ったから今日はサラダ記念日にしよう・・っつー心持ち?が好きじゃないのだ(笑)

何だか男に媚びてる気がして^^; 

あと、記念日にするほどサラダって難しいもんか?とか(笑)

あとあとっ!

サラダ記念日、っつー語感がオシャレ過ぎてしゃらくさい。 

一番最初にその言葉が浮かんだから後付けしたか、と邪推もし。

 

・・そこまで散々言うこともなかったですな。申し訳ない。

 

あ、でも、『愛は勝つ』の歌について、ライバル同士またはストーカーが自分の歌だと変に勇気付けられたらどうすんじゃ(そこまで言ってなかったけど)みたいな句は共感した(笑)

 

 

えと・・何が言いたかったのか分からなくなってしまったが、とにかく短く吐き出せる手段と場所が一つ増えたっつーことで、やれ嬉しや、な気分なのである。