花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

ブログもエッセイもその人の生活感が滲み出ているのがいいなぁ。  トラバ&追記アリ

エッセイ本が好きである。

その人の小説が好きになり、ではこの著者はどんな人なんだろう・・と興味を持ってエッセイ本も読んでみる、というより、先にエッセイ本を読んだら面白かったので、ではその著者の小説も読んでみようかな・・という場合が多い。

でも、必ずしもエッセイが面白かったからといって小説が面白いとは限らなかった。逆も然り^^;

 

小説家以外の人、例えば音楽家だったりしたら、そのまま最後までその人の音楽を知らずに終わったりする。

あんまりその人の職業には興味ないのだ^^;

あるのは、そのエッセイの内容が面白いか否か、心の琴線に触れるか否か、である^^;

まあ、それを書いたバックボーンとしてその人の職業はすごく関わってくるんでしょうけど。

 

ブログも然り、で、自分を飾ったような生活感のないものは好きじゃない。

 

 

中学生の頃は、よく團伊玖磨の『パイプのけむり』というエッセイを愛読していたという、おっさんな女子であった。

しかし、好きだったならその中の一つのエピソードでも覚えているもんであろうが、全く一つも覚えていない^^;

でもどこかが好きだったんだろうて。

パイプの煙をくゆらせながら、ゆったりとロッキンチェアーか何かに座っている著者の(知らないけど)あれやこれやと心に浮かぶよしなしごとが書かれたソレを読むオトナな私、といった背伸び感でもあったんだかどうか^^;

氏が作曲家だったことは薄ら知ってたけど、童謡の『ぞうさん』や『やぎさんゆうびん』の作曲者だったことは、つい最近知ったことである。

関係ないけど、この『やぎさんゆうびん』の歌詞は子供心に実に歯がゆかったのぅ。

作詞のまどさんには悪いけど、手紙を書いてる時は食わずして何でせっかく貰った手紙を読む前に食べちゃうんだよ!と、その失礼なヤギの胸ぐらを掴んで詰め寄りたい・・っつーのと、最初の手紙には何と書いたんだ?と知りたくもそれを永遠に知らされないという事に。(笑) 

その歯がゆさの妙に、ニヤリとするのがオトナであり、子供の私にはそれを面白がるほどの余裕が無く、生真面目に?そんなことに怒っていたんである^^;

 

で。

小説とエッセイを読んでいての違いは、著者が亡くなっている場合の認識の大きさである。

小説ならば物語の中に入っていて、著者は出てこない。当たり前だけど。

でもエッセイは当人が語っているのでずっとその人のことを考えつつ読む。 

何かについて自分の考えを書いているならさほどでもないけど、自伝的なものだとその著者が亡くなっている事実をいやでも思い出してしまう。

特に、未来の自分について、その頃は私も・・などと言ったことが書かれていたりすると、あぁ・・この人はまさか○年後に死んじゃうなんて思いもよらなかっただろうな・・と、たまらなくなる。

 

 

そんな思いで、昨日、向田邦子の『父の詫び状』というエッセイを読んだ。

向田氏脚本のドラマは多分『寺内貫太郎一家』と『想い出トランプ』しか観てないと思う。

そして、そのエッセイは

まるで昭和の懐かしい(と言っても戦前だったりするんだけど)ホームドラマを観ているように、笑ったりホロリとしたりしながら読んだ。

脚本家だからか、自分のことより家族や周りの人間のしぐさや言動が細密に描かれていた。

何てことない日常のひとコマが何てことありで描かれている。

まるで隣家に住んでいるオバさんのような面持ちで、向田家を覗きこんでいるような気分だった。

 

前からちょいちょいきなこさんのブログに向田氏の作品タイトルが出ていて気になっていた。

また今回もまめさんが書かれていて。

だからそれがキッカケで読んだので、横からしゃしゃり出てきてさも前から知ってますよ~的な感想を書くのも何だか図々しいというかアレなんだけど^^;

 

一番印象に残った話。

 

癇癪持ちで理不尽に口うるさかった父が突然亡くなった。

布団に横たわる父の周りに家族が座った。

誰も口を利かず涙も出なかった。

弟が母に言った。

『顔に布を掛けた方がいいよ』

母はフラフラと立つと、手ぬぐいを持ってきて父の顔を覆った。

それは豆絞りの手ぬぐいであった。

母の顔を見たが母は何も見てなかった。

弟は黙ってポケットから白いハンカチを出し、豆絞りと取り替えた。

 

私はここまで読んで失礼ながら吹き出した。

あれほど家人の前で傍若無人に振舞っていた父が、最期に顔に掛けられたのが豆絞り・・。

それに笑うことなく(当たり前だけど)冷静に、白いハンカチと取り替える弟。 

 

 

母はそのことを覚えてないようだったが葬儀が終わり一段落した後でその話をするとさすがにしょげていた。

『お父さんが生きていたら怒ったねぇ。お母さんきっとぶたれたよ』

笑いながら大粒の涙をこぼした。

 

・・と、ここで私も泣いた^^:

 

こんな風に笑ったり泣いたりしみじみしたりしながらこの本を読み終え、まめさんが勧めてくれた『夜の薔薇』というエッセイを早速図書館で予約した。

 

飛行機事故で台湾の空に散ってしまった向田氏のことを今になってもっと知りたいと思った。

亡くなっている方が今生きているように書かれたエッセイを読むのは何だか苦しい。

でも、鹿児島にもう一度行きたいと書かれていた氏は、そのまま空を飛んで今頃さつま揚げを頬張っているんじゃないだろうか。

もう亡くなって30年以上経つけれど。

 

 

来週は妹と、父の墓参りに行く予定。

寺内貫太郎一家』で、息子役の西城秀樹とのバトルで秀樹が投げ飛ばされるシーン、樹木希林がジュリ~ィ!!と身悶えするシーンに大声で笑っていた父を思い出した。

 

*きなこさんの記事

『随筆あれこれ』

http://kinako.hatenablog.com/entry/2013/09/21/200519

きなこさんも、ドロさんも、『パイプのけむり』を読まれていたという嬉しさよ。

時期は微妙に違うかも知れんけど、あの頃少女、少年であったきなこさんもドロさんも私もそれぞれの想いでもって同じ本を読んでいたんだなぁ~それでココで出会ったんだなぁ~としみじみ感慨深いです。