花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

失ったモノと残したかったモノ。

師走の街に聖者は行進しているんだろうか。

私にとって師走は、亡者の行進である^^:

ザッザッ・・と音の無い足音を響かせて。

 

その中からヒラリヒラリと、その人の死を知らせる便りが届く。

 

ここ数年、喪中はがきがドッと増えた。

大概は知り合いや友達の親である。

それは自分も含め、年老いた親を持つ年齢になった、ということでもあるんだけど。

 

 

そして、去年の義母に続き、今年も旦那の身内から二人。

義姉と義兄である。

8人兄弟が、今や5人に減った。

最初は8人も兄弟がいるのかとびっくりし、暗澹たる気持ちにもなったが^^;

会ってみると、皆優しい人たちだった。

いや、厭な思いをするほど会う機会が無いだけのことかも知れんけど。

 

 

義兄と最初に出会ったのは、義父の1周忌の場である。

まだ私と旦那は籍を入れていなかったが一緒に暮らしていたこともあり、私も田舎に同行した。

 

「おーい、靴下どこだっけー?」

・・が初めて聞いた彼の声である。

子供の靴下が見つからず妻に聞いていた、そののんびりした声。

 

その時、単純に、いいなぁ、、と思った。

それは日常で交わされている風景を切り取った言葉なんだろうな、と。

幸せそうな家庭の、一風景。

 

お酒の席で親戚たちの方言が飛び交う中、戸惑いつつも笑って聞いている私に、隣に座っていた彼は小さな声で言った。

ーー何言ってるのか解らないでしょ。

いたずらっ子のような笑顔だった。

 

結婚した私たちがアパートに住み始めた頃、彼は都内にマンションを買った。

長いローンを組み、中古だが庭付きの。

その頃、うちの旦那は彼の妻に「○○君(旦那)も買えばいいじゃん。」と鼻で笑うように言われて憤慨していた^^; 

 

 

そんな義兄一家に何があったんだろう・・と驚いた。

彼が末期ガンだと知らされ、また、離婚話が持ち上がっていると聞いた時は。

 

彼は病院ではなく、自宅マンションで療養している、と聞いて旦那が見に行った。

リビングの真ん中に不自然に食器棚が置かれていた。

反対側は狭いスペースになっていて、小さなテレビと敷かれたままの布団。

以前の面影の無い骸骨のような身体の兄がそこに横たわっていた。

周りにはカップラーメンの容器とお湯の入ったポット。

 

そこだけ切り取ると、まるで独身者の一室である。いや、身寄りのない病人の。

 

その光景に驚いた旦那がもっと驚いたことに、兄貴はまだ働いている、と言う。

あと少しでマンションのローンが終わる。

そうすれば自分たちのものになるから、と。

だからまだこんな身体になっても働らかなきゃならないんだよ、と。

 

職人の彼は病気になってから払えなくなっていた保険も解約していた。

妻も働いているが知れたお金である。

何とか仕事をもらって末期ガンの身体を引き摺って働きに出ていると言う。

仕事先も、いつ倒れるか解らない彼をおいそれと働かせるわけにいかないだろう。

いくらかローンのお金や生活費を用立ててくれたものの、この不況で自分たちの限度もある。

 

それより何より。

 

なんでそこまでなってカップラーメンなんだ?・・と私は彼の様子を聞いて驚き、憤慨した。

ご飯を作ってもらえないから自分で食べているのだと。

お湯を沸かし、カップラーメンを食べているのだと。

 

重病人を狭い部屋に捨てて、そのまま死んでいくのを黙って見てるってこと!?

それ、犯罪じゃない! 何とか放棄って罪じゃない! 訴えようよ!

それに奥さんはどうしようもないけど子供はどうしたの??

 

・・怒りでそう息巻き叫んだ私に旦那は言った。

 

いや、兄貴はもういいんだって。

とにかく今は、身体の動く最後まで働いてマンションのローンを払いたいんだって。

子供たちに形見として、このマンションを残してあげたいんだって。

 

でも。

もう成人した子供たちは、父親のもとに寄り付かない。

まだ元気な頃、お酒を飲んで大声を出すようになった父親を怖がり、うとましくなっていたらしい。

 

兄貴も悪かったんだ。

無口だから、少しづつ何かが溜まってきても何も言わなかったんだろう。

こんなになるまで。

 

夫婦が冷めた原因は他人が解るはずもない。

 

でも、彼が名前を書いた離婚届けは最後まで判を押されていなかった。

 それじゃ単に財産(と言ってもマンションだけだが)狙いじゃないの!

遠く岩手の義姉たちも怒りまくった。

こうなると女姉妹は怖い。

 

あそこから連れ出して私が面倒みるわ!・・と名乗りをあげたのは、以前ダイアリーに書いたhttp://d.hatena.ne.jp/hate7510/20121108/1352347630義姉である^^:

 

奥さんと何度か話そうとしたが、携帯に出てもらえず、職場も訪ねたが時間が無いからと断られた。

 

何度も家に行き、弟(義兄)を連れ出そうとした。

 

でも。

彼は最後までそのマンションから動こうとしなかった。

病状は本人が一番よく解っているだろうに、ここで独りで生きていくつもりなのだ。

余命3ヶ月と言われても、死ぬ、という考えは全く無く、ローンが終わる来年まで生きて働くつもりだった。

自分でお湯を沸かしたカップラーメンを食べながら。

 

私もせめて仕事先に持っていけるようにとお弁当を作り旦那に届けてもらったが、綺麗に洗われて帰ってきた空の弁当箱を出して、もう固形のご飯は食べられないんだって、と言われた。

 

義姉たちは電話で話し合い、もう最後は彼の思う通りにさせてあげよう、ということになった。

夫婦のことはしょうがない。

いずれ離婚届けに判を押すつもりです、とやっと連絡がとれた妻から聞いたけど。

ただ、せめて食べ物だけはちゃんと食べられるものを作ってあげて、と、義姉はそれだけしか言えなかったらしい。

 

私たちはいくらかづつお金を出し合った。 少しでもローンの足し、生活の足しになるように。

と言っても、皆、貧乏だからたかが知れたお金だけど^^;

 

 

狭い部屋に打ち捨てられたようになって、誰も寄り付かなくなった家族に醒めた目で見られ、ただ朽ちていく命だった彼は、、

一体何を最後まで守ろうとしたんだろう・・と思う。

何を残したかったんだろう・・と思う。

 

もう住むことの出来ないマンションなのか。

残したものより失ったものの方が、多いんじゃないのか。

残ったマンションと引き換えに失った夫婦の愛情、親子の愛情、父親の威厳。

 

でも。

彼が残したかったのは・・マンションなんかじゃなかったと思うのだ。

 

彼が残したかったモノは

 

自分が生きた[証]なんじゃないかと。

 

黙々と働いて買った中古マンションに、また黙々と働いてローンを払う。

遊ぶこともなく家族の団欒にも入らず(昔は入っていたかもだけど)無口で不器用な彼が残したかったのは・・

 

自分がこう生きてきた、という証。

 

それをカタチとして残したかったんじゃないかと。

余命3ヶ月の身体で仕事に行き、重い建材を運んでいたその力は、そんな執念から出たものだったのか。

そして、俺は病気になったけどこうしてちゃんと妻子を養ってきたんだ、というプライド。

 

証ったって死んだらおしまいじゃん。何のための誰への証?・・とも思うけど。

 そんなプライドを、不器用な生き方を、バカだな・・と笑うことは簡単だけど。

 

 

 

葬儀は行われなかった。

お経も読まれず、焼いて、終わり。

まだ離婚していなかった奥さんがそんなカタチにしたのは、自分の人生の半分を台無しにされた旦那への復讐の証だったのだろうか。

それとも、単にお金が無かったからか。

 

私はそっちの理由を願うよ。 

どっちも、というのが正解なのかも知れないけど。

 

末期ガンになっても親にも兄弟にも言わず、独りで何かと戦い頑張って生きた義兄。

 

遺骨は、来年あたり岩手の父母の墓に埋めにいく、と義姉が言った。

 

おにいさん、もう頑張らなくていいんだからね・・私は心の中で呟いた。