花梨とうの粒焼き

日々のちょこっとをちょこっと。

傷つけられた子供の、想い。

おととしの暮れのこと。

30代ぐらいの母親と5歳ぐらいの男の子が近所のアパートに引っ越してきた。

目がくりくりした可愛い子である。

しかしほどなくして、母親がその男の子を怒鳴る声が朝晩と聞こえてくるようになった。

 

怒鳴り声、というよりヒステリックな金切り声。

 

内容は着替えが遅いとか何かをこぼしたとか、そんなことで。 

怒っている具体的な言葉の合間に全くヒステリックな感情で吐き捨てる言葉が多かった。

 

アンタなんかどっか行け!とか。 

アンタのせいでお母さんの生活がどうとか。

子供のやったこと、と言うより、今の自分の境遇(離婚したらしい)に不満があり、そのストレスを子供にぶつけている、という感じ。

どんな理由で離婚したかも、そして現在、どんな状況での暮らしなのかも分からないが。。

それを『自由』になった、とは置き換えられないのか。

離婚したくとも離婚出来ない中で、日々鬱々と生きている人達もいるのに。

それとも、子供の存在が足枷になっているとでも言うのか。

 

 

10mほど離れている私の家にもそれは聞こえてくる。

だから、間近で怒られているその子供の耳にはかなりの音量だろう。

その子にしても、最初は怒られている内容が分かるだろうけれど、段々怒りの言葉は母自身の今の生活の愚痴や不満になってきて、終いには何に母が怒っているのか、何を言っているのかすら分からないんじゃないかとも思う。

子供は、ごめんなさい!ごめんなさい!と泣きながら謝っている時もあり、または黙っている時もあった。

 

年が明けて、小学校に上がる頃。

母の怒鳴り声に対して子供の声が聞こえなくなった。

いや、家の中で小さな声でごめんなさいなどと言っているのかもしれないけれど。

大声で泣く声は聞こえなくなった。

もしかしたら慣れてしまったのかも、とも思った。

または、幼いなりに防御の方法を身につけたのかも知れない。

聞いているけど聞き流す、というような。

ただ、耳のそばでうわんうわんという甲高い、金属音が流れているだけだ、と。

だから、ごめんなさい、とは言うだろうけどあとは首をうなだれてじっと母の怒りが頭の上を通りすぎるのを待つだけになったのかも、と。

子供なりのそんな悲しい防御法。

小学校に上がってからも、その子はほとんど毎朝、母の金切り声に押し出されるようにドアから飛び出していた。

 

その頃私は地区の役員をやっていたので(いや、やらされていたので^^;)学校からの手紙などをその母に渡すのに一回だけ家を訪ねたことがある。玄関先だけど。

土曜の昼過ぎ。

こんな格好ですいません、と言って出てきたその母は、パジャマを着ていた。

若いお母さんである。 可愛い顔をしているがどこか地味な感じだった。

ドアの隙間からちらりと見えた部屋も地味で、色、というものが無く廊下から部屋まで、荷をまだ解いていないと思われるダンボール箱がずらりと並んでいた。

少し話をした(と言っても地区のイベントやらの話だけど)限りでは普通の、というかかなり真面目、という印象の人だった。

まさか、あなた虐待してませんか?などとは聞けなかった。

 

しかし。 

怒鳴り声が聞こえるようになった最初の頃から近所のお母さん達とは話をしていた。

アレ、言葉の虐待だよね。

どうするよ、(;;;゜ω゜;;A)・・と。

どうするか、を決めていいもん? おせっかい?・・でも何かあったら・・と。

最悪の場合が起こってからさ、近所の人達のインタビューで、前々から心配してたけどとかニュースでよくやるじゃない。

あれ、聞くと何で前からもっと対処しなかったんだろうって腹立たしかったけどさ。

それ、もしかして今がその時?? 

それ私達が今直面してる問題なのか??・・と。 

どうする?学校に電話しようか、児童相談所

 

いや、でも、とその子と同級生の息子を持つ母(A子さん)が言った。

あの人、学校で役員やってるんだよね。すごく几帳面で真面目な人だよ。

それで、この間、子供が何かで褒められてて表彰されてたのよ、そしたらあのお母さんも来てて人目構わず凄く嬉しそうに写真撮りまくってたよ、と。

 

・・・うむ。

愛情はあるんだね・・・いや、でも。。

その愛情はもしかしたら自分の思い通りにうまく育っている子供の姿を見ての、んで、自分の育て方に満足しての、ってことかもよ。

親のエゴというか。

だから。

何かの拍子に、自分が思い通りに育てられていないと思うような事を子供がした時に、スイッチが入っちゃうんじゃない?と。

何でこんなに女手一つで一生懸命育てているのに、この子はこうなんだ。

私だけが何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

私だけ何でこんな不幸なんだ。 私だけ・・私だけ・・・。

 

母も、いや、母が一番苦しいのか。。

でも、だからといって母の顔色を見ながら育つのか、その子は。

たっぷりの褒め言葉と残酷な言葉を交互に浴びながら。

 

 

私ら、近所のおばさん達はおせっかいと心配の狭間で、どうするか決めかねていた。

とりあえず、普段接触出来る機会がある(子供を夕方まで預かってもらえる学童保育が一緒)A子さんが、今度それとなくその母と話してみる、と言った。

 

しばらくしたある日。冬のさなかである。

その子はまた母の怒りをかったのか、家から締め出されていたらしい。

家の前で震えながらぽつんと佇んでいるのを、A子さんが見つけ、向かいの自分の家に連れて帰った。 

かれこれ1時間ぐらい、その子は外に出されていたらしい。

母は勿論家にいる。

直接顔を見られるのも気まずいだろうと思ったA子さんは電話で、今晩は〇〇ちゃん、うちに泊まってもらっていい?と聞いた。

その母は

そうですか、宜しくお願いします、とだけ言って電話を切った。

 

A子さんは、お風呂に息子とその子を入れた。

身体に虐待の痕は無かった、と後で言っていた。

 

その後、その母とA子さんは話をした。

自ら心療内科と、市役所の児童相談に通っているらしい。

子供をどうやって育てたらいいのか、ついヒステリックに叱っては落ち込み、だけどまた怒りが湧いてくるのだ、と。

止められないのだ、と。

 

あの母も苦しんでいた。

 

なら。

少しづつ良い方向にいくことを期待しているしかないか。

A子さんという相談相手も出来たようだし。

私は、これ以上でしゃばっても(何もしてないが^^;)余計負担になるかも知れない。

 

そう思いながら・・そう思っていたけれど。。

あの金切り声は止むことが無かった。

 

朝、子供が学校に行く時に私も外に出ていた。

 

「アンタなんかどっか行け!! 死ね!!」

金切り声に押し出されて、ランドセルを背負ったその子がドアから飛び出してきた。

 

とぼとぼと何mか歩いて、突然立ち止まった。

じーっと下を向いたまま動かなくなった。

 

そして、また何かに押されたように少し歩きだす。

すると、また足が止まる。

前を見るでもなく、後ろを振り返るでもなく。

ずっと、地面を見つめている。

何を考えているのか。

どこかへ行けと言われて。死ね、と言われて。

 

それを見ていた子供が「お母さん、あの子うちの子供にしようよ」と泣きそうな顔で言った。 

 

もう、ダメだ。 

そう思った。

あの子は、行き場が無い。 そしてあの母親も。

スイッチが入らないようにするにはスイッチが無ければいいんだ。

 

学校に電話をした。

児童相談所、とも思ったがまずその子の担任の先生に話をしよう、と思った。

もう、おせっかいな近所の主婦だと思われてもいいや。

 

担任は、他からも聞いています、と言った。

学校では友達と笑っていることもあるが、最近は表情が暗くなったので気にはしていたと。 今度家庭訪問があるのでお母さんと話してみます、と。

それじゃ、遅いんじゃないのか。 でも、私はそれ以上言えなかった。

 

 

その日。

その子は学童保育が終わっても家に帰らなかった。

そのまま友達の家に行き、泊まった。

次の日に、その家のお母さんから学校に電話がいった。

そして

児童相談所がその子を引き取っていった。

母は連れて行かないでくれ、と泣いて言ったらしい。

しかし子供は遠く離れた児童施設に預けられた。

 

それまでどんな情報があったのか、何を決め手として子供を母親から引き離すことを決めたのか。

分からないけれど、私がかけた電話も一旦を担ったのだろう。

良かったのか、あんなことして。

暫く悩んだ。

 

 

虐待のニュースは後を絶たない。

子供の首を締めて殺してしまった母親。

橋の欄干から子供を突き落とし死なせた母親。

 

鬼のような母親でも、聖母のような顔の時もあっただろう。

あの母が、嬉々として子供の写真を撮っていたように。

その夜は、珍しく子供に優しい言葉で話していただろう。

 

首を絞められて気が遠くなる中、欄干から落とされている途中。

心の中で、お母さん、助けて! と叫んでいたのではないか。

そのお母さんが自分を殺していることを知りながら。

目の前の鬼のような顔の母ではなく、その裏にあるはずの、優しいお母さんに向かって。

意識が途切れる最後の瞬間まで。

 

 

 

以下は、ある方達のブログをかいつまんで。 

 

小さい頃から自分は『いらない子』だと思っていた。

そんな扱いをずっと母親からされてきた。

今、母親を旅行に連れて行く。 お金と身体と気を使いながら。

そして今でも文句を言われながら。

それでも、喜ぶ顔が見たくて連れて行く。

たった一言、

『おまえがいてよかった』と言われたい為に。

いらない子、では無く、いてよかった子、だと思われたい一心で。

 

 

また、ある方のブログ。

気性の激しい母親に怒鳴られるたびに怖い思いをしてきた。

今でも、電話の向こうで怒るキンキン声が怖い。

いつ実家に来るのかと電話がかかってくるたびに、憂鬱になる。

でも断れない。 

思い腰を上げて実家に行く。

トラウマと、具合の悪い身体を引きずりながら。

それでも、母親に会いに行く。

それは・・

だんだん年老いてきた母の、喜ぶ顔が見たいから。

彼女は

小さい頃に見ていたこともあったろう、怒っているのではない、その母の笑顔を

大人になってからも繋げておきたいのかも知れない、と思う。

怒る顔を打ち消すように。

もう一度、もう一度、と。

 

 

 

 

近所の母親は 

子供が連れていかれてから暫く、沈んでいたらしい。

すぐに近くに引っ越す、とも言っていた。

でも。

未だに、一人で近所のアパートに暮らしている。

暗い部屋で、一人で、何を思っているんだろう。

もしかしたら、気が楽になったのか。

自由を手にいれたことに気がついて。 子供がいなくなってから。

 

いつか。

その子が大きくなり、自分が年をとる。

不安になり、その子に電話をするかも知れない。

会いに来い、というだろう。 旅行に連れていって、とも言うかも知れない。

しかし、その子は

それまでどんな思いで大人になってきて、その時どう思っているのか。

そんなことを、今の、あの母親は思い至ってもいないだろう。

 

 

笑い話になんかならない、と、ブログで彼女たちは書いている。

 

時間が解決してくれるのは、大した事じゃないのだ。

 

もしそうだったら

 

とうに母の前で涙を見せている。

 

 

 

 

ひたすら愛することよりも。

ひたすら憎むことよりも。

 

憎みながら愛する。

 

その哀しさ せつなさ

そして、愛おしさを、想う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

kinakoさんにトラバ返し

『犯罪者のプライド』

http://kinako.hatenablog.com/entry/2012/10/07/102120

罪って何だろう、何が罪なのか、と、考えさせられました。