何でもいい母との墓参り。
昨日は小雨そぼ降る中、母と一緒に父の墓参りに行った。
先日ダイアリーの方に、父の遺影の事でロクでもない娘ぶりさを書いたのだが(日本語合ってますでしょうか)
墓参りに関しても私はロクでもない娘である。
もう、めんどくさくてしょうがないのだ。
墓参り、というものが。
お墓の場所は、自宅から1時間ちょっと。
めんどくさがる程の距離ではないのに。
まず、理由として。
お墓に父はいませんー。眠ってなんかいませんー。。と思っている、ということもある。
なんだかここに父がいるような気がしないのだ。どうしても。
千の風になって、とは思えないけど、とにかくお墓の下にあるのは父の魂が以前入っていた『抜け殻』だと思っている。
実は。
焼かれて出てきた骨を目にして、納骨を支持する葬式の人に(呼び名が分からん^^;)ヒトカケラでも貰えないかと頼んだ。
しかし。
そういうことはするもんでないと断られた^^;
だからあの時こっそり持ち帰れば良かったとすら思っている。
でも。
何故かその骨をお墓の下に埋められたら、そこに父がいるとは思えなくなった。
それは、こんな狭い所に父がいるのでは死んだとはいえ可哀想だから、ということもある。
早逝した自分の母や兄らと一緒にいられていいではないか、という考えもあるのだが。
お墓がねぐらでもいいが、いつもはもっと自由にひゅんひゅんといろんなところを飛び回っていて欲しいものである。
あと、お墓の管理費が高い割にろくに掃除もしてくれずに周りは雑草だらけ、という実質的な不満^^;
管理費に関しては父の前に祖母などもお墓に入っているので、今は母と父の兄弟が折半して払っているのだが、いずれ私と従妹らが払うことになるんだろうて。
それも貧乏故の不満。
そんな、お墓に対しての薄い信頼と不満故、1,2か月に1回、1時間ちょっとのお墓まで行くだけのことでも私はめんどくさいと思ってしまう。
それなのに、行ったら行ったで、霊園の雰囲気に癒される。
何か結界の内側にいるような、不思議な安堵感がある。
んで、お墓に魂は無いとか言いながら手を合わせて心の中で
『宝くじを当てさせて下さい!』
と、毎回祖先にオネガイしている(神社かよ!^^;)という矛盾したずうずうしさ。
母は、毎日父の好物を仏壇に供え、そんなに飲みたくない時でもビール(しかも発泡酒が嫌いだったので高い本物?のビール)を買い、半分飲んで半分捨ててまでしている。
そして、お父さん、今日はね・・と、そこに父がいるかのように話しかける。
墓参りに行く時も必ずビールを買って持っていく。
んで、「墓石にはよくないんだけどね。お父さん好きだから。」と苦笑しながらソレを上からかける。
帰りは、「また来るからね」と言う。
家に帰ると、仏壇の父の位牌に「ただいま」と言う。
ええと。。
父はどっちにイルと・・? (;;;゜ω゜;;A)
大概の人も仏壇とお墓と両方に同じ故人の魂がいる、とみなしてそうしているのか、それとも母だけなのか、それとも宗派によってちゃんと納得のいくようになってるのか。。??
母の中でその矛盾はどう処理されているのか、聞いてみたことがある。
まあね~と照れくさそうに(何で?)笑い
「何でもいいんだよ」と言った。
母のセリフで一番多いのはその、何でもいいよ、というコトバである。
昔からいろいろなことをあまり深く考えない。
従って、子供の精神状態に気を配ったことなんぞ無かったんじゃないかと思う^;
私が小学校の低学年の頃に苛められていた時も。
恋に悩んで、一週間ろくに食べられなかった時も。
私が言わなかったこともあるけれど、母もきっと気が付かなかった。
でも、今ではそれで良かったな、とも思う。
もし話していたら「何でもいいよ」とは、まさか言わなかっただろうけど^^;
そして、私は父の白黒ハッキリつけたがる短縮的な性格と、母の、何でもいいか、という性格を受け継いでいる。
最初は父の性格が出ても最後は母のソレで終ってしまうことが多い。
墓参りはめんどくさいけど、行くと何だか癒され
墓には抜け殻しかないと言いながらお墓の中の人達に金のムシン?をする罰当たりな私と。
家で父にビールを供えて仏壇に行ってくるよと言い、墓でもビールをかけながら、お父さん、来たよ、という母と。
そんな矛盾な二人で墓参りに行く。
仏壇にはご本尊があり、そのご本尊に位牌の故人をどうか宜しく、とオネガイすることが本来の意味である、とか。
お墓は御霊の寄り処である、とか。
ホントはそんなちゃんとした立派な理由や理屈があって、納得のいくものなのかも知れない。
でも。
母はそんなことを知ろうともせず、自分の矛盾を矛盾とも思わず疑問も持たず、あちこちで父に話しかける。
それでいいか。。と思う。
納得できなくたって。
折り合いなんかつかなくたって。
誰も本当の事なんて分からない。本当の事があるのかすら分からないんだから。
確かなことは。。
横に母がいることだ。
それと。
こんな風に二人で墓参りに行けなくなることも
そんなに遠い話じゃない、ということ。
「じゃあ、行こうか。」
よっこらしょと言って、くたびれたバッグを持ったその皺だらけの手を
私は愛しく、せつなく、思った。
「お腹空いたねー。何か食べて帰ろか。お母さん何食べたい?」
「何でもいいよ。」
やはり母はそう言った。