ふりかけのお弁当。
ある方の記事でご飯にかける『ふりかけ』のことが書かれていた。
好きな定食屋さんで、前まで無料で置いてあったふりかけがいつのまにか無くなっていたという。
そこまで不景気になったのか、と嘆かれていた。
いつかその店で、ご飯にふりかけのみで食べてみたかったのに、と。
私も、ふりかけが大好きである^^b
だから、入った店に無料のふりかけが置いてあったら大喜びだ。
そして無くなったらガッカリだ。
ふりかけは究極のオカズだ!と、声を大にして叫ぶよ。 叫ぶ程の事じゃないが。
ふりかけと言えば、思い出すことがある。
実際に私が見たワケじゃないけど、いや、見なくてよかったと思うけど。。
妹の同級生の話。
私と妹が通っていた中学校の昼食はお弁当だった。
ある日。
お昼の時間に、ふと見ると隣の席の男の子がフタでお弁当を隠して食べていた。
ちらりと覗いた。
ご飯の上に卵のふりかけ・・・・のみ、であったらしい。
それだけ。オカズ無し。
「泣きながら食べてたんだよ。」
そう妹が言っていた。
ただ、それだけの記憶。
それまではどうだったの?とか、次の日のお弁当はどうだったの?と聞いた覚えはない。
そこらへんは子供の薄情さと言うか、それをずっと気にするには勉強や友達、好きな男子のことに気を取られてそれどころじゃなかった、と思う。
私も妹も。
うちの母が私達に作ってくれていたお弁当も、決して豪華では無い。
それよりか、全部茶色だし^;
周りの友達の、例えばプチトマトとかミックスベジタブルなどが添えられたカラフルなお弁当が羨ましかった。
もっとカラフルにしてよ~と、文句を言うと、
小さいお弁当箱にそんなの入れたらおかずが入らないじゃん。
と言われた記憶がある。
今、毎朝弁当を作る身になってみると、その時の自分の頭をひっぱたきたいぐらいであるが^^;(・・つっても冷食ばっかだけど)
今にして思えば、母は朝から手作りのハンバーグなどを作ってくれていたのだ。
勿論、電子レンジなんざ無い時代。
今みたいに何でも冷凍のおかずがあったわけじゃなく。
だから。
お弁当の茶色は母の手作りのハンバーグや切干大根の色。
カラフルなイカシタおかずなどと思い至るほど食に関してオシャレな母でも無く、カラフルなおかず=ミックスベジタブルとしか考えられなかったようだ。
人参も入っていたが、他の大根などと煮込んであるのでやはり茶色に変色されていたし(笑)
そして冷凍もんは栄養が無い、というのが当時の母の信条であった^^;
だからプチトマトやミックスベジタブルは母にとってはおかずじゃなかったのだ。
それとも、当時は冷食がもっと高かっただろう、なので、貧乏人の負け惜しみだったのかも^^;
でも毎日の弁当をおっくうがっている母の記憶は無い。
うっすらと覚えているのは、朝からハンバーグを丸めている、その、ペタンぺタン、という音。
もう中学生なんだから自分でお弁当ぐらい作りなさいよ、と言うでもなく。
ただ毎朝、仕事前に当たり前のようにお弁当を作る。
ふりかけだけのお弁当をフタで隠して、泣きながら食べていたその子には兄がおり、私の同級生でもあった。
何かの事情で父親がおらず、東北から越してきた転入生だった。
家は(うちもボロ団地であったが)かなり老朽化したアパートだった。
いつも、そんなお弁当だったのかは分からない。
おかずも買えない程貧しかったわけじゃないかも知れない。
または。
その日。
母と喧嘩をして怒った母がふりかけだけのお弁当にしたのかも知れないし、たまたま別の容器に入れてあったおかずをその子が持ってくるのを忘れてしまったのかも知れない。
でも。
泣いていたのは事実。
中学生の男子が。 皆の前で。
私のおかず分けてあげるよ、なんて言う子もいなかったのだろう。
ましてや、そんなことされても少しも嬉しくなかっただろうとも思う。
そんな同情は。
「今日おかず入ってなかった!^^;」
なんて明るく言えもしなかったろう。
それがその日だけじゃなかったとしたら尚更。
あの頃は、今よりもっと貧乏な家と金持ちの家の差が歴然としていた。
そして私の周りも金持ちの子は目立つぐらいで殆どの家が皆似たようなもんだった。
お弁当のおかずも、私がカラフルかどうかを気にしていただけで皆対して変わりは無かった。
ただ、ふりかけだけ、というのは、妹の同級生のその子だけだったと思う。
そして今、思う。
その子は、お母さんのペタンペタンを聞いたことがあっただろうか。
茶色だらけのおかずもあっただろうか。
そして、何より今。
ふりかけは好きだろうか。。と。