扉。
結婚したての頃、アパートに1人でいたところにチャイムが鳴った。
「お荷物です。」
インターフォン越しに聞こえてきた30代ぐらいの男性の声。
会社の友達や親戚などから突然結婚祝いや新居の祝いが届いていた頃だった。
いつもなら、いや、それまでは「はい。」と言ってドアスコープを覗き配達員だと分かるとドアを開けていたのだが、その時は何故だか急に何かが心を押し留めた。
開けちゃダメだよ。
「あの・・何処からの荷物ですか?」
インターフォンで、そう聞いていた。
「え・・・」ちょっと戸惑う感じの声がして
「あぁ、間違えました。」
そう言って足早に階段を下りて行く足音。
いそいでドアスコープを覗いても、いつもの階段の踊り場しか見えなかった。
差出人を見てマチガエタと思うワケが無い。
そこに載っているうちの名前や住所を見て、表札と見比べ、うち宛てではないと気が付いたのか。
そんなことだったのかも知れないけれど。
でも。
もし、あの時の男性が実は配達員じゃなかったら・・
そして、もし、あの時ドアを開けていたら・・
男性の足音を聞きながら、私は最悪な事態を免れたのかもしれない・・と思い、それまで掛けていなかったチェーンを始めて掛け、その場に座り込んでしまった。
当時私が住んでいたのは駐車場だったところに建てた新築のアパートで、私と旦那は一番最初に入居した。
その時も、他にはまだ誰も入居していなかった。
仕事を終えてどこの部屋にも明かりが付いていない真っ暗なアパートに、私はいつも1人で帰っていた。
そして部屋は2階の角である。
押入れられても誰も気が付かなかったかも。
勿論、助けを呼んでも。
本当のところはどうか分からない。
新しいアパートの住所がまだ地図に載っていなかったり、配達員が新人だったりなどのことで、本当にマチガエタかも知れない。
いや、そっちであって欲しいと思うけど^^;
でも。
その時のことを思い出すと、必ず一緒に思い出す事件がある。
『光市母子殺害事件』である。
犯人の少年は、水道の検査員を装うという巧妙で卑劣な手口だった。
妻子を殺され、テレビで怒りと悲しみで震えていた原告の木村さんの姿が忘れられないのだ。
そして少年は死刑が確定した。
当たり前。
私は、死刑廃止論には反対である。
罪を償わせ、いつか更生するかもなんて性善説をぶら下げてどうする、と思う。
しかし。
確定以前での弁護団の主張。
「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」
屍姦するか?母恋しさで。 何が抱きつき行為が発展した・・だよ。
あほか、と思う。
母恋しさで人を殺していいのか。赤ん坊まで。
母恋しさで泣き叫んでいた赤ん坊の命はもう還らないというのに。
当時の私は新婚ほやほやで、道行く人まで誰もがイイ人に見えていた、そんな呑気でおバカな新婦であった。
だけど、たった一枚の扉を開けたその先に、あったかも知れない暗い何か。
その扉を開けていたら、今ここにこうしていなかったかも知れない。
または。
今ここにこうしていられることだって、何か別の扉を開けなかったからかも知れない。
いつもの道を通る扉、いつもと違った道を通ろうと開けた扉。
開けたから。開けなかったから。
こうして生きているのかも知れない。
そんなことを思った。